はじめに


天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生まれるに時があり、死ぬる時があり、愛するに時があり、憎むに時がある…戦うに時があり、和らぐに時がある…神のなさることは、皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。「神は正しい者と悪い者とをさばかれる。神はすべての事と、すべてのわざに、時を定められたからである」(伝道の書3章から)

一冊の本が凛子にこれを書かせた。それは聖書だった。平易に書かれた理路整然とした霊なる書物が凛子に多大な影響を与え行動させる。一人の偉大な男が凛子を愛し育み成長させた。彼は骨太の「明治の男」だった。この彼が凛子の資質を見抜き信頼し愛娘を手放した。娘は父親の庇護の下で冒険を恐れず羽ばたいた。独特な個性と豊かな感性を持つ少女は16歳で渡米し18歳で帰国した。1960年代の米国はよき時代だった。ベトナム戦争が泥沼化する前のアメリカは豊かな中産階級が社会を支えていた。所謂リッチな国だった。帰国後、更に世界が観たくてフランスへ留学と称して遊学した。航空会社に勤務し世界中を飛び回った時期もあった。常に外国人の間に居て、ごく自然に自国と比較してきた。日本を客観的に観る自分がいた。母国の卓越した文化文明、類い稀な民族とその優秀さを感じたが、根拠も知識もなく自分の言葉で発することはなかった。理想や夢を追って、ひたすら前を見て歩く精神が、彼女の膨大なエネルギー源だった。彼女のポリシーは子育 英語教育 病院経営に反映された。この女性には有り余る情熱を注げる対象がいつも身近にあった。子育ての傍ら、熱心に行った英語教育、病院経営に没頭した時期を経て、今がある。最愛の父を失い失意のどん底にあった時も「不思議な力」は彼女を見捨てなかった。試練の中でも絶えず自問自答した。彼女の際立つ特質が物事を昇華させた。そこへ至るには「父親の存在」が大きかった。年月を経て、人生中盤で「神秘体験」をした。「光体験」だった。燦然と光り輝く雲の彼方から聞こえてくる聖なる声はこの世のものではなかった。「威厳と慈悲」に満ち溢れていた。凛子の求める究極の存在は「神」だった。「創造する神」至高の神の臨在に確信を持ち洗礼を受けクリスチャンとなった。聖書が愛読書となった。聖書から関心や興味はあらゆるものに波及し拡大していった。世界を飛び回っていた凛子の世界観は更に180度変わった。

好奇心が強く古代から現代に至るまで人類の歴史も知りたかった。「国の歩み」や「真の歴史」や「神の愛」を知らずに何事も語れないと思えた。人類が過去や歴史に学ばず人や社会は明るい未来へ到達しない。共に繁栄する社会へ繋がらない。「神の存在」を知るには「悪魔の存在」も知る必要がある。悪魔が神に闘いを挑めば当然神が勝つ!キリストイエスは必ず勝つ!と確信。

凛子は地上でできることしたい!今、自分の役割を果たし、光の中へ入って行きたい!この一冊の本を書いて、JAPANスピリットをしようと思う!類い稀な国、日本に日本人として生まれた、その役割として「大和魂」凛としたスピリットをあらゆる全てを通して発信しようと思う。

神様に預言された「日出づる国」が、「弥勒の世」へと繋がると信じ、そんな行動をとりたい!今年70歳古希を迎えた。未だ健在で諦めず人生終盤で神様の御用に使っていただく!そんな想いで始める、JAPANスピリットだ。全知全能の神は全てを見ておられ、知っておられるのだから… 頑張るしかないだろう。世界各国で国民をコントロールするプロパガンダや政策があり報道規制する現実社会がある以上、各自が良心と良識に従って行動し善悪を判別し真相を求めなければ、真実の情報は入手できない。報道機関はまともに機能しておらず、主要メディアは真実を何一つ伝えていない。彼らの報道目的は一般大衆の洗脳で自分たちの伝えたいことのみ報道している。文科省の薄っぺらな歴史教科書だけでは自国への誇りも愛国心も育たない。何も学べない。

その昔、凛子は、日本占領中のGHQが何をしたか、東京裁判は何だったのか、戦争はいかに勃発するのか、国際銀行家、国際金融資本家、NYのウオール街、ロンドン・シテイ、バチカン市国、連邦準備制度たる中央銀行、FRB、CFR、CIA、NATOに国連、共産主義に資本主義、軍産複合体、多国籍企業の何たるか、グローバル化と超格差社会、政治経済の仕組み、尖閣諸島に竹島問題、北方領土に日露関係、TPPと日本、などなど、遠い世界で、自分には無縁の代物と思っていた。

それがとんだもなく間違いだった。関係ないどころか大有りなのだ!世界がどこへ向かおうとしているのか、大問題だ!世界中の富と権力を独占し善良な人々から更に搾取し永遠にコントロールしようとする、欺瞞に満ちた0.1%がいる。その0.1%は「情報」と「マネー」と「権力」を握り嘘で固めた強欲という「個人主義ネットワーク」で繋がっている。また一方で強いロシアが再び勢力を広げている。北の国のロシアが地上最強の男、プーチン大統領の下に、戦略を立て動いている。そして、米国大統領にトランプ氏が国民の圧倒的支持を得て当選した。グローバル化から自国を守り、強い国造りを目指す、これ、国を率いるトップの考えるべきことで当然だろう。

北朝鮮は日本を脅し、中国共産党の強権政治と軍国帝国主義はアジアを制覇する野心で一杯。実に不快で脅威だ。日本政府が自国の民も財産も主権も守れず憲法9条に縛られ右往左往してる。日本が悪の軍勢に降るかもと本気で危惧している。日本の国難は世界の国難。日本は類まれなる文化文明歴史を持つ、唯物主義に陥らない伝統ある国。哲学のある、美学を持つ、民度の高い民族がこの国を形成している。聖書に日出ずる国として「預言された国」、創造の神より多大に祝福された「エフライム」、その民族の末裔が建国した「大和の国」日本。しかし、平和を勘違いしている日本、揺れ動く世界情勢の背後に、何が働いているのか、正確に把握していない。どこの国の人が、この国の国益を第一に考え、国を民族の分断化から防ぎ、国民を劣化させず文化伝統を守り、貧困化させず豊かにさせ、日本語という言語(言霊)を守り、独立国家として未来永劫、この日出づる国を、繁栄させるだろうか…?誰もしない!! ! 自分の国と国土は、自分たちで守るしかないだろう。国際化に対して、日本人ならソフトに対抗できる!しなやかにかつ堅固に向き合える!民度の高い、国民一人一人の質の高さがあるから、それが、できる!と信じれる。国の権力に対抗するのが天皇を象徴とする権威だ。その権威を国民が支えている国、それが日本、こんな国はどこ探してもない!権力と権威はバランス良く調和してこそ、国も民族も世界も繁栄する。日本人には特別な力が備わっている。調和、融合、和する、改良し造り変える。常に日本人はそうして来た。今こそ、勇気を持って、自国の抜本的改革をし、和するベストな道を世界へ提案し、実践すべき。世界の人々は日本の今後に注目する。凛とした強い日本が新生し、たおやかに復活できれば、世界から尊敬され、紛争地域をも他国と協力し安定させ、経済的自立を促す技術援助をし、他国の地域の繁栄に貢献してこそ、日本が最大に生かされる。それが、世界を善へ導く、平和への道程となる。トランプ大統領が出現し、強いアメリカを復活させる。神国・日本・光明の国も目覚めその力を惜しみなく発揮する時代が終にやって来た….!

では、幼い凛子が如何に成長し、強い女性になっていくか、そして、信仰がさらに凛子を揺るがぬ者にしたか、驚嘆されると思いますが、楽しみながらお読みください。

車戸凛子 2017年8月24日 東京にて

1章 祖先と凛子


凜子の両親 車戸一族 祖先の血脈

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって、父に求めるものは何でも、父が与えて下さるためである。わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下るとき、それはわたしについてあかしするであろう。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。(ヨハネによる福音書1章16/27)

凛子の両親は共に滋賀県彦根市出身。彦根と聞けば、井伊直弼を連想する人は多いだろう。彦根藩の15代目城主、井伊直弼が江戸幕府の大老として徳川末期の幕府政治を舵取りしていた。朝廷から勅許が下りないまま、日米和親条約を結び、安政の大獄を経て、桜田門外の変で倒れた、あの彦根藩主の井伊直弼のお膝元だ。頑なに鎖国する江戸幕府に忍び寄る超強豪は、アジア、アフリカ、中東、オーストラリア、地球の4分の1を制した大英帝国。彼らの陰謀があり、日本に対する戦略があった。大英帝国の次なる標的は、黄金の国ジパングへと向けられていた。一方でペリー率いる黒船の大艦隊がやってきた。幕府は大動転!とんでもない大騒動だったろう。「元寇」以来のお国の大事件!蒙古来襲、あの時はこちらも頑張ったが、神風が二度も吹いてくれて助かった!しかし、今回はそうはいかない!絶体絶命!開国を迫られ、激動の時代を迎える。政権交代を求めて明治維新という一大変革が起こり、時代が確実に明治へと移行してゆくわけだが、そこに、ご先祖さま車戸宗功翁(多賀大社の大禰宜)が密かに、関わっていたとは、誰も知らない!ここで書くことになるとは予想もしなかった。明治維新を起こそうとする薩長の若い志士たち。幕府軍から逃げ隠れしながら必死に動いた勤王の志士たち(伊藤博文や桂小五郎なる木戸孝允)を、多賀大社に匿い擁護したのが、ご先祖で多賀大社の大禰宜、車戸宗公翁だ。何の因縁か、お多賀さんと呼ばれる多賀神社の霊脈か、先祖の血脈か、彼女のDNAなのだろうか?今、凛子は日本の一大危機を感じている。グローバリズムという国難に直面している日本を、なんとかせねば、日本は再び、いや三たびやられる!と本気で憂い、この本を書き出した… 。日本という国の類い稀な素晴らしさと、内に秘めた民族の強さを、文化文明芸術歴史を通して、真の日本やジャパンスピリットを内外へ発信し、人々を覚醒させ魂を救済しようとしている。彦根から20キロほどの所に伝統ある古い神社がある。それが滋賀県犬神群多賀町に在する多賀大社。そこはイザナギとイザナミの命とが鎮座した神社で、昔から伊勢神宮の親神社と呼ばれる由緒ある神社だ。凛子の父方の祖先は古い家柄でこの多賀大社の禰宜を代々してきた神官だ。祖先の車戸一族の筆頭、車戸宗功翁が、明治維新に神官として関わったのは事実。また、我が祖先車戸家は、甲賀出身の甲賀流忍者でもあり、車戸一族は多賀大社の神官も代々務めた。そんな不思議な家系の血と神秘的な血脈が凛子に流れている。忍者は聖徳太子の頃からいたそうだ。遠方の情報集めて神社を通して朝廷にお伝えしていたのだろう。車戸一族は神官のみならず忍者としても常に気持ちの上で朝廷に仕えてきた。日本人なら、国の権威である朝廷、天皇陛下という国体に真心から仕え国を支える。それが日本神話へつながり、私たち日本人が天孫降臨の子孫だと証明するのだから…! 先祖の血を引く、九の一「女忍者の凛子」は、相当な情報通で多彩な人脈を持つ。引き寄せるのか,相手が引き寄せられるのか、知らぬが何故か特別な情報や人脈がある。自然に集まるのだ。求めたわけでもないのに…さて、甲賀の忍者が何故多賀神社の神官も務めたかというと、知識人の集団、忍者たちは甲賀の里で、薬草から生薬を作った。そして、多賀神社の護符を携えて、生薬を行商しながら、全国各地の情報も集めたらしい。なので、神社との関わりが常にあった。多賀溝としてそれが今も残る。加えて日本古来から伝わる組紐、甲賀忍者が編んだ組紐。この組紐 古代イスラエルから甲賀へ伝わったと聞いたが全く知られずだ。

その昔、古代イスラエル王国が南ユダと北イスラエル王国に分裂した。アッシリアに滅ぼされ捕囚に出された北イスラエルの10支族が目指した、最終目的地が、東の端、地の果て、日出る処!…

つまり、今の日本!聖書に何度も繰り返し預言された国、それが日本だ! 聖書を伝え、預言を伝え、人から人へ聖書と預言を伝播することで、全知全能に対して、畏敬の念を抱き、再び聖書の神に立ち返る!すると、預言どおりに日本が復活する!死の谷間に放置された枯れた骨が霊的に復活する!正に、それが、弥勒の世へつながり、究極の世界平和がいつか訪れると期待している。皆が自分の出自に関心を持てたらと思う。先祖も大事だが自分自身の内側にもっと関心をもつ。深く自己探求すればパワーは自分の内にあることに気が付くはず。この本は始めから終わりまで凛子の半生で善と正義と真理の出処「光と愛の存在」について証ししている。出自で言えば凛子の祖父、車戸延吉は車戸家の嫡子として生まれた。彼は多賀大社の神官を継ぐべき人だった、しかし、幼くして両親を突然失った祖父は、父親(車戸喜内)の弟である叔父(車戸捨次郎)に車戸家から出され叔父が神官となった。そして、祖父は彦根で宿屋業を営む、商家の北村家に養子に出された。(その後この叔父一家には次から次へと不幸が相次ぎ、家は崩壊してゆくらしい)北村家に入り家業の旅館業兼料亭で財を成した祖父は、壮大な構想をもとに、彦根と多賀大社を鉄道でつなごうとした。しかし、実に無謀な発想だったと思う。徒歩か荷車、馬車しか無い時代に、この祖父は一体何故そのような大胆な発想をしたのか。時代を先取りし過ぎた祖父は資金調達もできず、受け入れられず、計画は大失敗。愛する一家を貧のドン底に落とした。延吉の長男として生まれた凛子の父親が、子供の頃に辛苦をなめることになった。

車戸一族 祖先の血

車戸一族の血はかなり優秀だった。大事業に大失敗したとは言え、立派な髭を生やした祖父を始め
彼らは体格も良かった。凛子の父親 北村賢太郎は長男として生まれた。すぐ下の弟、北村茂男は地元の滋賀銀行を退職し、東京の賢太郎兄貴の下へ来て、彼の伝手でオリンパスに入社した。茂男叔父は平社員から一通りの課をまわり、課長、営業部長、輸出本部長、社長、会長、名誉会長で逝去した。そこまで階段を上りつめた。彼は、エンジニアの開発した胃カメラを世界中に売り込みに行った。

オリンパスは、品質の高さを保ち、医療機器メーカーとして世界でナンバーワン、トップのシェアを持つ。今では、広く知られるオリンパスだが、そのオリンパスを世界のオリンパスにすると叔父、北村茂男は口癖のように云いながら、熱き情熱を持って、世界中を飛び回っていた。そして、事実そうなった!製品がいいから、自社製品に自信が持てるから、広めたいと思うのは当然だろう。凛子も同じくだ!

日本文化文明が素晴らしいから、特殊技術の素晴らしさがあるから、民族の封印された歴史があるから、ジャパンエスコートで日本を世界へ売り込みたい!海外へも行こう!飛び回ろうと思う! さて、延吉祖父は車戸性に拘りを持ち続けたので末の男子を車戸實と名付けた。彼は学問好きの秀才肌で絶えず勉強ばかりしていたそうだ。兄貴の家に下宿しながら早稲田大学に通い首席で卒業した。彼は学問の道を歩むため大学に残り助手から助教授、教授、名誉教授となった。早稲田の商学部には車戸会があり今も続いている。ネクタイを締めずいつもアスコットタイで通す大変お洒落な叔父だった。

二人の弟たちは、国からそれぞれ褒章を受けた。父は彼らの兄としてさぞ誇らしかったと思う。凛子の父親が一家の長として、親の生計を支え、弟達の学費を払い、就職の世話をした。土地を購入し、妹たちの心の支えとなり、精神面から彼らの経済に至るまで、親や弟や妹たちの面倒を実によく見た。父は彼らにも特別な存在だった。それが凛子の父だった。叔母や叔父達も、そんな兄貴を慕いよく訪ねて来た。実に彼らは仲が良かったし、楽しそうに話していた。父親の起こした二つの事業は、大きく発展せず、消滅したが、彼の生き方は立派だった。誰にも真似できないと思う!彼の人生は人の想像を絶する壮絶さがあった。此処に敬愛する父、享年76歳で没した北村賢太郎について記したい。

北村賢太郎、凛子の父親について

父親の延吉が大事業に大失敗し家族を奈落の底に突き落とした時、賢太郎は未だ小学生だった。下に幼い弟達や妹達がいるが、働き手はおらず、使用人は全て引き揚げた。突然の没落に家族はさぞ戸惑っただろう。裕福に暮らしていた者たちがある日、食べるに困る 貧のどん底に落ちる経験を強いられた。中学生の養子の兄と小学生の長男賢太郎が、雨の日も、風の日も、寒い雪の日も、生計の足しに荷車を引く仕事をしたそうだ。そして、小学校を卒業すると賢太郎だけが、親元を離れ東京へ丁稚に出された。病弱の養子の兄はその労働に耐えられず、弟達は幼く、實は乳飲み子だった故に、賢太郎だけが食い扶持減らしとやらで、12歳の時に東京へ奉公に出されたのだ。親も辛かっただろうが、賢太郎は泣き言を言うような柔な性格ではなかった。家の事情を子供ながら承知し気丈に受けて立った。凛子の父は、将来に備えて学問も必要と考えていた。日中こき使われる丁稚は疲れ果て、夜は爆睡するのだろうが、彼はそうしなかった!彼は月明かりで一人勉強したそうだ。寸暇を惜しんで独学した彼は、奉公生活が終焉する頃になると、今でいう大検を受け、全国模擬テストはトップテンに入り、明治大学法学部に入学し自力で卒業した。小卒の彼は一足飛びに大卒となった。前述の通り、先祖の車戸一族は甲賀の里で、その昔、薬草から生薬をつくっていた。父も同じく薬に縁があった。彼は山之内製薬の創始者、山之内健司氏と親しく、彼も製薬会社を起業した。父は日本厚生産業から、朝鮮人参を入れたアペテーゼという健康ドリンクを出して売った。戦前戦後を通してアペテーゼは大いに売れ、北村賢太郎は財を成した。それで、彦根の実家や弟や妹の面倒を見たのだろう。しかし、その後 朝鮮戦争(1950年6月)が勃発し、朝鮮からの朝鮮人参が輸入不可となった。同じ頃、彼は厚生省の役人が参院選挙に出馬するので資金援助をした。凛子の父親は出し惜しみせず、骨惜しまず、できることは何でもしてあげる人だった。 彼は金払いよく、多額の援助をしたが、その人は落選した。父は朝鮮人参が手に入らず、議員候補者も落選し、これらが重なり、二重に追い込まれて、彼は完全に倒産し破産した。その破産で全財産 何もかも全てを失った。しかし、人の信用と信頼は決して失わなかった。父は誰も泣かさず、誰も責めず、全ての負を一人で背負った。従業員の就職先を全員にあてがい、その家族が一人も路頭に迷わぬよう配慮し、債権者には潔く自分の持てる財産を全て出し 自分自身は身包みはいで、自由が丘の大きな家から狭い等々力の借家へ移った。賢太郎には 幼い頃から培った不屈の精神と体力と人的魅力があった。それが彼の財産であった。彼の潔い倒産の仕方、一切の迷惑をかけず 誰も責めなかった事が、厚生省でも評判になった。そして、北村賢太郎に対する厚い信頼は、後に厚生省から直に、役所の出版物を扱う出版会社を作って欲しいと言わせた。その時、再出発で起業したのが北村出版だ。彼は戦後間もなく発足した健康保険制度流布のために、年金基金手帳や国民健康保険に関する冊子、雑誌や書籍、健康保険に関する印刷物を出版した。後に一人息子(凛子の兄)のために印刷会社、太陽印刷を創業しドイツの印刷機ハイデルベルグを工場に入れた。「こんな印刷機は全国に数台しかない、凸版印刷にもないんだよ!」と何も知らない若い凛子に言って、大きな印刷機ハイデルベルグを見せてくれた父。これは、10代の頃だから、50年も前、大昔の話だ。

しかし、天は何もかも知るのだろう!余談だが、そのハイデルベルグに、ごく最近つながった。京都にある世界一の印刷会社を凛子に紹介するよ!と言われお会いしたのが、サンエムカラーの会長さん!印刷物を一目見て凄い!と思った。惚れ惚れするような印刷技術なのだ。このサンエムカラーさんもやはり、ハイデルベルグ印刷機を使っていた。聞けば、松井会長はハイデルベルグに改良に改良を重ねて、自分流に造り変えたのだそうだ。日本人のすることはお見事!ドイツのハイデルベルグはユダヤ人に発明されたが、独特の発想と理想を追求する精神で、別物に作り変えるなんて、流石、日本人!

今、凛子はこのサンエムカラーさんと日本文化を紹介する日めくりカレンダーを作ろうとしている。話を戻して、さて、凛子の父、彼は常に接待する側にいた。いつも接待していた。毎晩、かなり飲んで帰宅したから、あゝまた接待ネ、と思っていた。絶えず接待、いつも接待じゃあない。ある時、彼の接待を目の当たりに見てすごい!と思った。至れりつくせりなのだ。凜子が米国で世話になったホストファミリーが来日した時だった。父親は感謝の気持ちを最大限に表したかったのだろう。まず、自宅にお泊り頂いた。その後、ハイヤーで箱根の一流温泉旅館にお連れした。そこで、ゆっくり休養、マッサージにお風呂、翌日もその翌日もマッサージにお風呂、日本の大きなお風呂を彼らに独占させた。次に新幹線のグリーン車で京都へ向かわせた。置屋さんでは、舞妓さん、芸妓さんを呼び、彼らにまたまた特上の日本を見せた。舞妓さんとじゃんけん遊びは、のちのち語り草になった。

彼は一切出し惜しみをしない、人を最高にもてなす名人だった。ビジネスも商談もその調子だったろう、と想像する。まず、友好的な人間関係を作る。信頼する人間同志の付き合いをする。ビジネスはその後でいかようにもなるものだ!お金に動く人はお金にしか興味がない!人間性や人物に魅かれる人とは、金銭以上のつながりができる!これ豊かな人生を送る鉄則だが、凛子は父の背中で学んだ。彼は出版物や本の編集 対談する人物とその設定 執筆なども手がけた。資金調達から 何から何まで 全てを仕切る 北村賢太郎はオールアラウンドの別格経営者だった。言い換えれば彼は何でも良く出来すぎた。又、やらざる終えない状況にあった。彼には従業員はいても右腕となる優秀な人財がおらず、一人息子は事業を発展させられず、父自身の夢や目標を達成できずに、昭和54年12月7日、76歳で生涯を閉じてしまった。彼は偉大な男だった。凛子の感性は彼を「凄い人」と最大に評価した。父親として、経営者として、人間として、絶対の信頼が置ける、尊敬に値する立派な人物だった。

彼の日々は忙しかったが一日はいつもゆったり始まった。朝食後、父はじっくりゆっくり新聞に目を通した。咳ばらいを一つすると、11時頃おもむろに出社した。そして、いつも相当飲んで帰宅した。それでも一家の長は家族に常に目を配り 4人の子供達、誰が何をしているか、どんな状態か把握していた。彼には絶対なる存在感があり、そんな父を誰もが信頼し尊敬し慕っていた。絵描きになるのが夢だった。絵は上手く、達筆であり、洞察力や観察力に富んでいた。人や物事を見抜く力は鋭く、的を外すことも無ければ、見誤る事も無い。それは見事だった。多弁ではないが、彼が話すときは誰もが、熱心に耳を傾けた。静かに穏やかに話す人だった。父は痒い所まで手が届くような配慮が出来る人物だった。決して単刀直入にモノを言わず、相手を追い込まず、恥をかかせず、上手に気づかせるような、伝え方は見事だった。周囲の人間は彼を褒め称え、人間性を最大に評価し、彼を慕っていた。

「霜に打たれた柿の味、辛苦に打たれた人の味」スバリこの諺が凛子の父親を端的に顕していた。「おとうちゃま大好き!」の凜子は、思い出が彼に触れると、いつも、目頭が熱くなるのだった。今の世の中、辛苦に打たれ、人の味を出している人物にお目に掛かれない。大抵が自己中心で身勝手だ。見かけ倒産をして自分の財産を守る経営者も多々いる。自信の無い人間はまず我が身を守ろうとする。しかし、鍛錬され練られた人間は生きる術を知っている。何が一番大切か その優先順位をつける事が出来る。一度の人生を生きる。一回だけ生きる時、大切な人や、大切なモノ、大切なことを、第一に考える。そうすれば、己の欲することは二の次、三の次になるだろう。そして、今できる事をする!最大に生きるとは そんなことだろう・・・と思える。彼の魚の裁き方はプロの魚屋も顔負けだ。休みの日になると、姉達にその手ほどきをして見せ、凛子は何でもこなす父親を感心して見ていた。賢太郎の舌はこえており、料理の味付けから、盛り付けに至るまで、彼は一流だった。見た目も美しく、味付けも良しで、彼の料理は美味しかった!又、京都祇園の置屋に始終出入りしてた彼は、芸子さん相手に何やら色話をしては 彼らをケタケタと嬉しそうに笑わせた。そんな父を傍目で見ながら、凛子は彼が人生を味わい寄り道を楽しんで生きていると思った。彼は子供達を絶えず見守り 必要とあれば 教え諭すが、大抵は子供の意志を尊重してくれた。 親の意見を押し付けたり、説教を述べる風が無かった。苦労が実に成った人生の達人で その視野や見解は幅広く、包容力の大きさが子供を上手に導いた。子供達は総じて自分の父親をオールマイティな人物だ・・・と高く評価したが、そんな彼も、天の父、神様の目からすれば完璧ではなかった。神を信じる否かは別として、彼は母以外に外に女性を作った。そして、その女性を愛した。彼は生涯を通して彼女を愛し抜いたのだ。

彼の結婚には、熱心に仲介する人がいて、ほぼ強引に結婚させられたらしい。彼らは4人の子供を作るが、父と母の性格は水と脂のように混ざらず、彼らには接点もなく、共有するできる共通項がなかった。それでも、二人は離婚せず、父はできずに、凛子は彼らの未子として生まれた。

凛子が物心つく頃、二人はすでに犬猿の仲だった。甘え上手の幼い凛子は二人とも好きで、彼らの間に立って困惑していた。どうして仲が悪いのか理解できず、小さい頃は悲しかった。父親は凛子の母が嫌いで、話もまともにしなかった。いつも彼女に対して無言だった。冷たかった。凛子の母は、社会性のある勝気な女性で、男性を立てず、毅然としていた。彼女は珍しいほど、自立した女性だった。彦根の造り酒屋、北村酒造の長女、お嬢さんとして生まれ、雑巾一つ握らず育ったオシャレな女性だった。彼女は自分の身支度にいつも、たっぷり時間をかけ、家事はそっちのけで、出かけるような人だった。その彼女が女性発明家となり、自分の発明したおむつカバーで新聞に出たり、注目を浴びたり、その他諸々でいつも忙しく飛び回っていた。家には住み込みのお手伝いさんが常時いたので、彼らが食事を作り家事をしていた。凛子は明るい性格をしていたが、母親が居ない家庭に戻るカギっ子状態だった。

やがて、成長する過程で、何故二人が上手くいかないのか、何故夫が妻を嫌悪するのか、理解できるようになった。妻の冷たさ、情のかけ方の下手さ 感情の表し方のまずさ、家事をしない妻 料理が作れない妻 他者に気配りできない妻、どれも父親の欲するものを満たさなかったと思う。一方、母は女性としては社会派で、正義感に溢れ、人の悪口など一切言わず、ゴミ問題云々に早くから関心を持ち、率先して追求するなど、自分の関心事に対しては、あくまで行動する女性だった。しかし、母親としては別もんだった。彼女を受け入れられず凛子も拒絶するようになっていた。父親の愛した女性に話を戻すと、彼女は新橋の料亭の女将だった。さもありなん、こんな女性は料理は上手く、人の相手も上手、整理整頓は完璧、また、きめ細やかに気配りできる。男相手の商売だから、さぞ、彼女はいろいろな男達を見てきただろう。鑑識眼の養われた玄人の女性が、凛子の父親に惚れた。男気のある人物だと心底惚れたのだろう。父が憲兵に連れて行かれ、長く尋問された日々も、彼女はじっと耐え、愛する男の帰りを待っていたのだろう。この女性は、父が最初に起業した製薬会社、日本厚生産業が倒産した時、彼女は持てる全財産を彼に注いだ。料亭も売った。彼を助けたかったのだろう。彼女は自分の人生を彼に託したのだ。身ぐるみ剥いで、愛する男に、差し出したとは、なんて潔い!潔い立派な女性がいたものだ。この女性が苦境にある彼を支えた。父が全財産を失い、誰もが見捨てる中、彼女は支えた。惚れる男を支えた。彼のお金に惚れたわけではない、人物に惚れたのだから!支えられた!
どれほど、彼は励まされ、勇気が与えられ、すべてにメゲズに闘えたか!容易に想像つく。その彼女の気持ちに、誠心誠意生涯応え続けた、凛子の父。彼も大した人だった。

彼は次なる事業、北村出版を起こし自分の資金をつくり直すと、真っ先に建てたのが、その女性が暮らす住まいだった。彼は彼女の家を先ず建てた。田端に、次に自分の住まいを成城学園に建てた。

そして、その後、その最愛なる女性を発見手遅れの直腸ガンで亡くした。彼女が亡くなる直前に、凛子は初めてこの女性の存在を知った。ある時、フライトから帰ると、(当時凛子はスチュワーデス)「今日はある人のお見舞いに行く。一緒においで。」と言われた。とても不思議に思った。でも、それが、すごく大事なことだと、直感した。「わかった。行くけど、どこへ行くの?」 「順天堂病院だよ」、そんな会話だった。凛子は父を乗せて愛車を運転し、御茶ノ水の順天堂病院へ行った。途中、お腹が空いたので、二人は近くのレストランに入った。凛子はハンバーグをぱくつき、父は何も注文せず、コンソメスープを持ち帰り用に頼み、キリンビールを黙って飲んでいた。凛子は、あゝ病人さんが重病だな、と察した。何とも重い雰囲気で、父親に話しかけられずにいた。そして着いた。順天堂の特別病棟、6階の特別室、このドアの向こうに、凛子に会わせたい、父親の特別な人が居る、と緊張した。病室に入ると、やせ細った女性が横たわっていた。静かに父が、「これが陽子だよ」と言った。「あゝそう…」その人は微笑んだ。二人は夫婦の会話をしていた。凛子は胸が詰まった。泣いていた。こんな女性が父親にいたんだ、とそこで、初めて知った。嬉しかった。大好きな父を支えた女性がいた。長年、凛子は父親には愛する女性もおらず、一人だと思い込んでいた。父を永遠に満たすことの無い母と、寂しい父…それが二人の構図だったから、この方の存在に、心から感謝した。そして、思わず、「ありがとうございます、お会いできて嬉しいです」と言っていた。涙が止まらなかった。二人は互いを気遣い寄り添う夫婦同然だった。その場に静かに佇んでいた凛子。父親は凛子を信頼して、自分の愛する女性に引き合わせたのだ。姉たちには紹介しなかった。他の誰にも知らせなかった。しかし、彼は凛子なら、すべてを察する、分かると判断したのだろう。その女性が亡くなる前に、賢太郎の子供を一人でも引き合わせたかった。それが、彼の愛娘、凛子だった…! 父はその女性の死後、自己喪失していた。自分が側についていながら、直腸癌の手当てをせず、本人も周りも痔だと思い込み、手遅れのガンの宣告を受けて、そのまま彼女を失ったのだ。どれほど、無念だったか。自責の念に駆られたか。彼女を亡くすと、彼は人知れず、泣いていたのだろう。夜通し泣いた時もあったのだろう。彼の枕がびっしょり濡れていた。それが、たまらなく悲しかった。ある日彼は言った。「お父さんが死ぬ時は ガンで死にたいヨ・・・」と。それは まるで、彼女の痛さを共有したい 自分も耐えたい・・・と言わんばかりだった。そうして、彼女の死後10年経ち彼のお迎えが来た。父は1953年4月肝臓癌を宣告され、日を追って激痛に見舞われた。しかし、モルヒネを一切拒否した。痛みに七転八倒するが、それでも敢えて鎮痛剤は使用せず、痛みを受け入れた。その生き方 死に方 考え方は 実に見事だった。しかし、父の死際に、30歳の若い凛子はただ狼狽え、途方に暮れていた。父親に死なないで!とすがっていた。父の語ろうとする最期の言葉を聴くことも出来ず、自分の行く末だけを案じ、自分のことばかり考えていた。彼の居ない世界を想像することができず、恐ろしかった…!のだろう。

最後に息を引き取ったのは 順天堂病院の特別病棟、6階の特別室、それは 最愛の女性を亡くした 奇しくも同じ病院、同じ病棟の同じ部屋だった。なんという運命のいたずら。いや、神の采配だろうか、この世に偶然は無い 全く無い・・・全てに何かの意志を感じる凛子だった。二人の魂がいつか神さまの下へ行き、二人が永遠に一緒で、平安であるように、あの光に祈りたい。

そして母、北村茂子について

母は夫の陰の女性を感知していたが確証を得た訳ではなかった。父が出張以外 外泊をせず必ず帰宅したので、女の直感は働いたろうが、証拠が無かった。母は嫉妬に狂う所を 自分の仕事に没頭した。彼女は自分のエネルギーを家族や家庭に向けず 女性発明家として 婦人発明協会の理事として、持つ力を外へ出し、幸運にも発揮する場を得た女性だった。彼女は創意工夫を得意とし、次々に新しいものを披露した。子育ての傍ら、ゴム付きオムツカバーを発明、それで特許を取り、日本経済新聞や産業新聞に大きく紹介された。着物で外出する母は、着物や帯を大胆に切って、改良したり、腰ひもにゴムを入れて伸縮自在に着ていた。彼女は大正生まれの革新的な女だった。やはり、彦根市出身、造り酒屋の長女だが、家事一切をせず お稽古事のみで、青春時代を送った娘が 閉鎖的な地元の男性と結婚するのを嫌い、父親と見合い結婚して上京する。二人は5人の子供をもうけるほど、近所でも評判の仲の良い夫婦だったらしいが、父親の倒産と同時期に 母親は何やらの宗教に一時のめり込む。感性の鋭い女性で霊的な何かが、彼女の中にあった。母親としての情は薄いが社会性や正義感が強く気性の激しい女性だった。年老いても彼女のオシャレ好きは変わらず背筋をシャンと伸ばし 姿勢良く人生を気丈に歩く女だった。凛子は茂子を女性として尊敬出来ても母親としては失格だ・・・と批判的に彼女を見た。何より父親の思いを汲み上げられず、夫に合わせず 自分本位の生き方をした母を長い間許せなかった。しかし、「光」体験をした後は、何もかもが許せるようになったのだろう。そして、物事や人物の本質を捉え、見抜くようになったのか、始めて彼女の偉大さに気づくようになった。彼女は母である前に人間として、一人の女として 立派だった、と思えるようになった。夫をそしり罵る時期もあったが、晩年は、全てを通過したのか、達観した女性の逞しさと静けさがあった。普通、女性は具知をこぼす。不平不満も言う。同居する嫁や息子の悪口は言う。実母を嫌悪する息子、その息子夫婦と同居した母、愛の無い、劣悪な状況にあっても、彼女は我関せずと、淡々と生きた。93歳、年老いて、死に向かう母に凛子は、神様の世界や光の世界を話して聞かせた。気分がいいと、母はそれにうなずき、安心したように納得行くワ・・・と言いながら、熱心に耳を傾けるのだった。

その昔、凛子は父の死を受け入れられず、打ちひしがれ、泣きじゃくり、親の死を拒絶した。人間として、魂も成長し、成熟したのだろうか、昔の彼女と、その時の凜子は別人だった。男と女がいて永遠、子孫を残し、命のリレーをしながら、彼らの血は受け継がれてゆく。二人は幸せな夫婦生活を送れなかった。それでも4人の子供をつくり、彼らはそこから12人の孫ができた。末っ子、賢太郎の愛娘の凛子にはすでに7人の孫がいる。彼らにとってはひ孫だ。こうして、ファミリーの血は延々とつながって行く。それが血脈だ。ファミリーの流れを途絶えさせたくない。我が愛する者たちを結束させ、大事にしたい凛子。取りも直さず、それは父がしたことだった。賢者、賢太郎の示した手本だった。人は奇跡の連続で、霊を持つ体として、この世に誕生する。その命は、親の愛に育まれ、成長する。成長する過程に試練がある。人生は、楽しみや喜びだけではないからだ。哀しみや苦しみがあり、それを乗り越えながら、人間は成長する。それらが、大きければ大きいほど、人を成長させる。
地上で生きる間、人は己を昇華させながら、昔いた古巣、光の世界へ入ろうとする!

しかし、入れるタマシイは少ない!天国へ至る、地上の道は、険しい!それは平らではないから!人は大抵、広き門を通り、安易な道を歩こうとする!凛子は、昔、何も知らなかった。人生の歩き方も知らなかった。ただ 最愛の父を手本にし歩いてきた。この場合、父親ならどうするだろう。どう対処するだろう。自問自答することが多かった。親は子供の手本だ。反面教師にしろ子供は親を、常に教師にしている。縁あって、夫婦となり、人の子の親になり、霊的にも成長する機会と場が与えられる。目に見えない魂を磨くのは分かりにくい。霊的に成長する事はとても大切だと思う。霊的に成長するとは、人格の向上も当然、伴うからだ。

2016年1月6日 蓼科にて、車戸凛子

2章 凛子の生い立ち


父の思い出

凜子の生い立ち&エピソード、いじめの数々、強い凛子

わたしはブドウの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。(ヨハネによる福音書15章5節)

凛子の両親は関西出身だが彼女は東京生まれの東京育ちで都会的な女性である。
途中高校・大学と留学した凛子は 物怖じしない外向的な性格の持ち主。
大抵の人に日本人らしく無いと言われるが純粋のヤマト女で日本女性。

若い頃 神さまのことは何も知らなかった。知らされずに育った。彼女の中で、神の存在、それは点と点 バラバラであり、一つにつながらず、カタチを成していなかった。しかし、今は違う。創造主、凛子の造り主は、彼女を世に送り出す前から、すべてをご存知だった、と思う。ご計画があった、と思う。70歳の今、こうして、自伝を書き、心の拠りどころ、我が主を証ししているのだから,,,.神様の「愛と光」の世界で魂は親を選び、あるいは選ばされ、地上に降りて来たのだろうか。子供は親を選択し、神は選択させ、命として親の胎内に宿り、月満ちて生まれて来るのだろうか。夫々の命は尊くかけがえ無く、愛と光の世界より、精一杯生きるようにプログラミングされているはず。命とは本来力強いものなのだ。その命を存分に生きる。子供の頃は何も知らなくていい。元気に素直に育てば、成長する過程で親や社会、周りから芽を摘まれなければ、すくすく育つ。凛子の生い立ちはそのようだった。父親が47歳、母親は33歳の時 4番目の子供として生まれた。47歳の時、生まれた末娘となれば、どの男親も取り分け可愛がるかもしれない。昭和21年11月1日に生まれた。父親はこの娘が太陽のように輝いて、すくすく育ち、明るく周りを照らすように、という願いを込めて、「陽子」と名付けた。生まれた前年は、日本が大東亜戦争、第二次世界大戦に負け、国民が心身ともに疲労困憊し、絶望感と虚無感に覆われていた。国民は未来が見えない混乱期の最中で、そう名付けたくなる親の気持ちは良く分かる。彼女は父親の願い通り、明るく、真っ直ぐ、元気な女の子として育った。いつも抱かれていた。彼の丹前の中に入り、膝の上に座わり、大人の話しを聞いていた。凛子は父親の秘蔵っ子だった。父親と兄の幼稚園に一緒に行く、そこで鉄棒に掴まりたがる幼い凛子。彼女は、鉄棒を握りしめ、その手をずっと離さない。放しなさいと言われても離さない。放さず鉄棒を握り続けた。(勝気の凛子、やる気の凛子すでに在り)それを、嬉しそうに、得意そうに、後日、親戚に伝える父。叔父たちは、そんな彼に、「兄さんは可愛くて仕方ないんだ。でも、気を付かなくてはいけないよ!凛子は可愛くて、人懐っこいから、誰の後でもついていっちゃうよ!」と言って笑い、「お目目のぱっちりした凛子ちゃんは、可愛いから人攫いにさらわれてしまうかも…」と叔母たちは父を半分脅し、またケタケタ楽しそうに笑う!そんな大人の会話を黙って聞いていた幼い子。可愛がられ、甘やかされて育った。また彼女自身も甘え上手だった。自分を愛する人に甘えるのは自然な感覚で確認であり防衛本能だろう。凛子は父親が疑いもなく自分を愛している!と感じて育った。なので、彼の庇護の下で、自分は安全と本能的に知っていた。この世に怖いもの無しで育った。自分を否定されたことがない、拒絶されたことがない、愛された感覚はものすごく大事で、何れ何かのカタチで芽を吹く。必ず意味あるものを社会や子孫へ残す。その感覚のない人は、神の愛に近い、親に愛された実感を持てない人は、否定的に物事を捉え、否定的な発想をする場合が多い。賢太郎は子供の情緒を安定させ、やる気や自立心をも養わせようと願っていた。 母親は仕事人間で、出ずっぱりの外出ばかりだった、彼女の生い立ちは 適度にほっておかれた。しかし、父親が、過分すぎる程に、十二分に愛情を示し、凛子に感じさせ続けた。母親は情の薄い人で、自分の仕事優先、彼女の関心は世界や社会のあり方で、家庭になかった。凛子は、たまに母親に頼み事をしても断られた。なので、結婚後、子育て中もほとんど母親を当てにしなかった。正反対の両親の対応が微妙に調整され良かったのかもしれない。それにつけても、子供の信頼を裏切る言動を、決してとってはいけない!その子の心に深い傷を負わせ親は禍根を残すだろう。人を愛する、何かを愛する、この大切な心は 愛された感覚を持つ者のみが、その愛を還元する。

活発で、明るく、お転婆だった、小学生の凛子。体育と音楽が得意だった。運動神経抜群の男子と競って跳び箱を跳んだ。所詮そんな男子には負けるのに…。最後は肩から落ちて、鎖骨骨折!全治三ヶ月で名誉の負傷?に終わった!正義感の強い凛子は、横暴な男子にも平気で物を言った。乱暴者を追い詰める勝気で幼い凛子!その結果、悔し紛れにその子に棒で鼻をつつかれ、彼女は眉間に傷を負った。そんな具合で、いつも、超元気な凛子。風邪ひとつ引かなかった。クラスメートがインフルエンザで学級閉鎖になるのに、誰からも移されない。そんな彼女はある日、自分も休もう!と決めた。布団の中にうずくまり、母親が起こしに来ても、具合が悪い、と言って起きなかった。親はまんまと騙され、彼女はその日、学校を休んだ。問題はその翌日!欠席した理由を如何に伝えるか、これが大問題!何せ、嘘なのだから!翌日、担任は聞いた。嘘をついたことがない凛子は、口から出まかせの病状が、次から次へと出て、クラスのみんなに笑われた!それは、最悪の結末だった。なんともバツが悪く、子供心に嘘は二度とゴメンだ!と思えた。いい勉強になった。小学校社会科の授業で士農工商について日本の身分制度について習っていた。担任が各自の出自を聞いていたが、凛子は知らず答えられなかった。早速、父の帰宅後に聞いた。「おとうちゃま、内は先祖代々何をしていたの? 身分を教えて欲しい!職業は何?」すると彼は、「うちはネ!先祖代々宮司をしていたよ。」凛子、キョトン…! 「宮司ってなあに?」「神主のことだよ」これを聞いて超がっかりする凛子。彼女の落胆する表情を見て彼は続けて言った。「凛子、うちは甲賀流の忍者でもあるんだよ!」これには飛びついた!嬉しかった!忍者ならクラスメートに堂々と言ってやれる!翌日、凛子はクラスの男子を集めて、言った!「私のうちはネ!(十分間をおいて)甲賀流の忍者⁉︎!」その時の男子の反応は凛子の期待通りだった。異口同音に、「へえ、格好いい!」これには凛子大満足!彼女はスリルやスピードが好きだった。自由が丘の家の近くに、小高い丘から滑り降りる、大山滑りという、危険極まりない、滑り台があった。兄は真っ青になり二度と乗れず、姉達は見るだけで、乗らなかった。凛子一人が、得意気にもっと乗るとせがんだ。このスピード感覚は未だ健在。高速道路では大抵追い越し車線を突っ走る凛子。何故か、性格的にゆっくりのんびり走れないのだ。小学生の頃、泳ぎを琵琶湖で覚えた。両親の実家、彦根には親戚が大勢いた。遊びやオシャレも背伸び、いとこのお姉さん達の後を追いながら、楽しい夏休みを過ごした。新幹線のない時代、一人で行く!と言って聞かないときもあった。凛子は一人汽車に乗り、意気揚々と、初めての一人旅を子供心に楽しんだ。しかし、切符を失くし改札も出られず、駅まで迎えに来てもらう始末。そこで、また、みんなに笑われた。いつも、どこか抜けている、危うい凛子…!

ある日、家が自由が丘から等々力の小さな家へ移った。子供の凛子には親の事情がよく飲み込めず、引っ越しが新鮮で嬉しかった。そこは、米国帰りの新婚夫婦、西園寺さんが建てた、高台の白い洒落た家だった。6年生の凛子は、等々力の家から緑が丘小学校まで、自転車通学しそのまま、卒業した。

友人間でよく耳にする話が、親が許してくれない。ダメと言われたから行けない、出来ない、だった。凜子はそれを言われたことがなかった。そこで、ある日、父親に聞いた。「何故、おとうちゃまは他の親みたいにダメって言わないの?」、その時の彼の答えは、「本当にしちゃいけないことなんて、何もないんだよ、凜子。親は子供のすることをいつもじっと見てる、それだけでいい。そして、方向が違う時に、軌道修正してあげる。それが親の仕事だよ!」何となくわかったようで、わからない、すごい返答…。しかし、凜子はしっかり親の考えを受け継いでいた。彼女の子育ては全くその通りで、子供たちを枠の中に閉じ込め、ルールで縛り、規制したことがなかった。彼らはいつも自由だった!自由だから、責任ある行動をとる!それが凜子の子育てだった。土砂降りの雨の夜だった。父の帰りを家族はおとなしく待っていた。凛子だけ、土砂降りの雨が気になり始め、落ちつかなった。想像たくましい彼女は、いろいろ、心配になってきた。そして、家人が止めるのも聞かずに、迎えに行くと言いだし、そのまま、てくてく歩いて、等々力の駅へ行った。待てど暮らせど、父は電車から降りてこなかった。携帯など無い時代、連絡の取りようもなく、何も情報がない。時間にしてどれくらいだったろうか、父親が雨の中、凛子を自転車で迎えに来た。結局、彼に連れられて、帰宅したが、彼の助けになれずとも、それで十分満足だった。時に、学校帰りの小学生の凛子を待ち伏せする人相の悪い男がいた。その男は自転車を蛇行させながら、凛子を凝視した。その男が決まって凛子の前に現れるので、もう、怖くて家にも入れなかった。父親にそれを告げると、彼は、翌日も翌々日も、会社へ行かず、凛子の帰りを待っていてくれた。ある日、その男の前に、立ちはだかり、仁王立になった父は、物も言わず、男を睨み付けた。そいつは、こそこそと、逃げるように立ち去り、二度と凛子の前に現れることはなかった。

父の思い出は尽きない。数限りなくある。彼とのエピソードは心の奥にいっぱいしまってある。琵琶湖で泳ぎを覚えた凛子は、彼に自分の泳ぎを見せたかった。彼と二人で、いつもの海水浴場へ行った。父は、「どれどれ、ここまで、泳いできてごらん!」と言った。凛子は泳いだ。楽勝で泳げる距離だった。しかし、行けない、着かない、距離は縮まらないのだ。必死に息継ぎしながら、水に顔をつけ泳ぐ凛子。自分は進んでいないのか、泳げていないのか、と疑った。一向に彼との距離が縮まらず、それは、永遠に続くようだった。泳げば、泳ぐほど、少しずつ遠のく….。やがて気が付き叫んだ。「オトウチャマ!動いている!動いているでしょ!動いちゃダメ!待っていて!絶対、そこで、待っていて!」凛子はもう、苦しくてしょうがなかった。これ以上泳げない!限界だった!それでも諦めるのは悔しくて、父の許へたどり着くまで、泳ぎ切った。さすがの父も、これが限界とわかると、そこで待ってくれたのだ。泳ぎを覚えたて、息継ぎをマスターしたばかり、その凜子が、いきなり、父親の要求で長い距離を泳がされた。彼の期待に応えようと、泳ぎ切った。本人は自分の泳げた距離にもうビックリだった。父が子供を励まし、子供は見守られながら、一層応えようとしていた。凛子の父親は人生の達人だった。物事の道理を知る、人格者で賢者だった。凜子はそんな偉大な男に愛され、育まれ、成長した。凜子に最大の影響を与えた男、それが凜子の父親だった。

虐めの数々 嘘から詐欺まで 強い凛子

凜子は勝気なお転婆娘で、からかうに面白かったらしく、男子生徒からもてた。彼女を好きな男子生徒がクラスを越えて大勢いた。彼らは家の周りをうろちょろし、集団で家を覗きに来る、個人的にプレゼントを持って来る。取っ替え引っ替え、電話をかけてきた。好きな男子は、美形のおとなしい女子が好きらしく、この男子には一向に好かれず、見向きもされなかった。一方、他の男子たちの集団行動はますますエスカレートし、あからさまに付きまとい、それが、彼女にとっては実に迷惑。嫌でたまらなかった!今風に言えば、集団ストーカーだ。女子生徒からは、何故凛子だけ? と思われた。彼女のどこがそんなにいいの? 女子はきつかった。彼らの反感を買い、嫌味を言われ始めた。そして、中学も卒業の頃、所属していたグループから突然冷たく扱われ、のけ者にされた。お弁当も登下校も一緒だった、かわいい子ちゃんグループが、ある日を境に仲間に入れなかった。いじめだ!凜子は戸惑い、当たり前に悩み、学校へ行くのも辛くなった。何故、突然、拒絶されるのか、真の理由が分からない。悩んだ末、理由を問いただした。一人対集団!直談判した。強い子でも取らない行動だろう。リーダー格を捕まえて、何故?と詰め寄った。彼らはしどろもどろだった。返事など、どうでも良かった。言い訳など聞きたくもない、彼女の方で願い下げ、彼らは凜子に値しなかった。その後、穏やかな優等生グループに入り、卒業まで一緒に過ごした。集団苛めは、娘の高等学校の父兄の間でも起きた。凜子は娘を一貫教育の私立女子校に入れていた。小学校から大学受験まで教育熱心な親たちと一緒だった。凜子は他の父母と交わらず、ランチやお茶も共にせず、授業参観後はさっさと帰宅していた。常に凜子流が在り、我が道を行く人で、お受験のために情報交換する必要も時間も無かった。しかし、毅然とした人間は目立つらしく、彼女は元JALの教官で、英語を教えているらしい…いろいろ噂もされていた。そんなある日、娘の高校卒業間際にバザー役員を担任から頼まれた。当時、父親を亡くした精神的ショックは尾を引いており、引き受けたくなかったが、嫌と言えない性格が災いして引き受けた。案の定、大変なことになった。大騒動に発展した。バザー当日失態を繰り返した。心が動揺し、ますます、事態が悪化した。普段の穏やかな教育ママたちは、一変し、凛子バッシングを集団でした。その日の反省会とやらで、コテンパにやられた。消え入りそうになりながら、耐えて聞いていた。しかし、その数か月後、娘の高校卒業式も無事終了、凜子の取った行動、アナタ想像つきますか?彼女は自分を取り戻すと、式後の親睦会の最中、やはり、リーダー格を呼び出して、あれは何だったのかと、みんなの前で問いただした。すると、相手は泣き出した。泣いて謝ったが、私も当日の夜は泣きましたよ!と言い放ち謝恩会から立ち去った。翌日には一大ニュースとなったらしく、アナタ、学校中の父母の間で噂だわよ!と外部に出た友人に言われた。でも、そんなこと、一切お構いなしで平然としていた。苛める方が悪い!しかも集団で!そんな卑怯な真似はさせない!それでは、終わらせないのが凜子だった!苛めは他にもある!子育てもひと段落、テニスに夢中になった凜子は、スポーツクラブ・ナンバーワンに入会した。その名の如く設備も入会金もナンバーワンだった!メンバーには自分がナンバーワンと思っている奥様連中が居た。他人を即、値踏みする、そんな人と付き合う気は全くなく、避けていた凛子だが、彼らの方で接近してきた。何かと凜子の行動を監視し始めた。ある日、一人で居ると、一緒にダブルスしたいと言われた。断るのも大人気ない、一ゲームだけネ!で始まったゲーム。案の定、周りは彼らの応援ばかり、凜子には一人の応援も居ない。非常に不愉快なゲームがやっと終わり、最後に言ってやった!なんとも不快なゲームでした。みなさんのマナーの悪さに呆れました。二度と皆さんとゲームする気はありません!!これを、英語でまくしたてた凜子!相手を罵倒するのに、日本語はまずいと思い、彼女は英語で云った。すると、リーダー格の女性が反論して来た。そこで、更に、貴女の英語は間違いだらけです!発音もイントネーションもなっていません!英語も勉強し直しなさい!と言ってやった。それが凜子!強い凜子がいる!不当な扱いに屈しない、負けない凜子が常にいる!

凜子はそんなクラブに居る気になれず脱会した。マネジャーが自宅までわざわざ来たが、到底、再び入る気になれなかった。不当に扱われて、大人しく引き下がるタイプではない。そして、苛められている人がいたら、いつも庇うだろう、集団で苛める行為など、絶対に許せないから!!

詐欺について

そんな強い女性だが、彼女ほど騙されやすい人もいない!お人好しのバカで、疑うことを知らない、世間知らずのお嬢さん…だった。子供は口々に言う。人には気を付けろ、気をつけて!騙されるな!ママ、騙されないで!ママはカモネギだから!ママほど騙しやすい、標的になりやすい危うい人物はいないよ!とこんな調子で、この点に関して、子供の信頼を得ていない!一方で、人は嘘もつけば、詐欺もする。カルマがさせるのか、業がさせるのか、わからないが、本人にとっては、詐欺が仕事だから始末に悪い!…と騙されたことを棚に上げて、自己弁護する。詐欺に合わずに済む人が大勢いる中で、凛子は何故か詐欺被害に数回あった。病院で2度あった。ドクター相手に歯科医院専門に働いた詐欺集団に引っかかった!待合室に地域の宣伝広告兼ねたテレビモニターを置いて欲しいで始まった、これが詐欺。全国規模で展開された大掛かりな集団詐欺だった。医師会に訴えられ、彼らは捕まった一件落着すると また 一件!今度はクリニックの会計事務所が、詐欺事件を起こした。本人は会計士やスタッフを雇い事務所を構えて、歯科医師専門にコンサルしていた。この男も用意周到で数年かけて総額20億の単独詐欺を働きフィリピンへ逃亡した。新規開業のドクター目当てに経営セミナーを開き、彼らの開業費用を根こそぎ持って逃げたらしい。夫の理事長も凜子も誠にお粗末でこの男を信用し金銭を託した!後継の息子殿に聞かせたら、呆れられる話で、あまり、言いたくない…..

オーストラリアからやって来た詐欺師

凜子はある時期、医療より英語教育に専念しようと、英語教師募集の広告を出した。その中にオーストラリアから応募してきたオージーが居た。それが、オーストラリアでは手配中の大詐欺師だった。凜子はこの谷中と名乗る男に騙され、横領され、社員にも背任行為を受け、会社設立後、初っ端から大変な騒動の渦中の人となった。凜子社長VS谷中主導の社員3名、前代未聞の物語が展開した。彼らは凛子の新会社(有限I28)を乗っ取ろうとあの手この手で凛子を脅し始めた。常軌を逸した彼らの行動だったが、事件にする気も起らず、新会社は夢を果たせずそのまま閉じた。その後、この谷中はオーストラリア領事館のサイトに、日本人移住者たちを騙し詐欺を働く人物として、掲載されていた。凜子は、他人を容易く信じてしまう、自分の危うさに対して、高額なレッスン料を過去に支払って来た!谷中事件が半年後にやっと落着した後、ホッとしたのだろうか、彼女はうつ状態に陥った。あの元気でパワフルな凛子!いつも前向きでエネルギッシュだった人は別人のように萎え無気力になった。何故、そんなに神様に熱心だったのか分からなくなった…。ひ弱になった凜子を守ろうと家族は必死だった。ママを守れ!外敵に触れさせるナ!家族は凛子を守るために、おふれを出し結束した。この事件でウツになった凜子は長女に付き添われ近くの精神科に連れて行かれた。娘達が、息子が 夫が、ある時は家族全員が凜子のカウンセルに付き添った。1997年?1996年、初冬の頃、長女や家族に抱きかかえられるように連れて行かれ、凜子に何が起きたのか、彼らが口々に伝えていた。凜子自身は何も話す気になれず、ただ黙って聞いていた。そんな風だった。しかし、確実に快方へ向かい、薬も飲まず春には再び元気になっていた。あれだけ 打ちのめされ、重症だった人が、異例の速さでウツから脱却した。凜子の立ち直りの速さに驚いた…1と、後日カウンセラーが言っていた。6章で書く聖霊体験は、この後に起きた。全てが今につながる!こんな経験、体験する必要もないだろうが、今に至るには全部必要だったと思える。ウツになった人しか、ウツの苦しみは分からないだろう!全て自分が経験してみて、その立場がわかることなのだから!書物で学ぶことも、人を介して学ぶことも、想像はあくまで想像で、実際の経験体験とは、全てが全く異なる。復活した凜子は一年の長い休養を取った。その一年間は全てに自分を優先した。クリニックでは無く、英語の生徒でも無く、家族でもなかった。彼女は責任ある立場に常に居たから、義務かのように、子どもが、クリニックが、生徒が、を優先し常に忙しくて飛び回っていた。優先順位の筆頭に自分を上げたのは、凜子結婚以来初めてだった。家の外壁を塗り替えた。長女とヨーロッパと中東へ遊びに行った。蓼科の山荘で長逗留した。自分の欲することを欲するままに次々と実行した。そして、十分な休息を取った凜子は、再び英語も教え始めた。他人任せにしていた病院も自分が前面に出るようになった。谷中事件から数年後、米人教師がクリニックを訪ねてきた。どの顔をして凜子を訪ねる事が出来るのかと人格を疑ったが、ひとまず、逢うことにした。話しを聴けば、谷中に騙された!一緒に告訴して欲しい!と言ってきたのだ。凜子が横領された額は数百万だった。しかし、この米人教師は姪の信託資金約一千万円を谷中との新事業に投資し全額持っていかれた、と泣きついて来たのだから、驚く!凜子は何と気の毒にと思ったが、一緒に告訴はゴメンだった。人を訴えるのは余程でないとしない行為だから、辞退した。谷中と一緒になって、あれほど理不尽に、凜子社長を責めてきた、米人教師の元社員は自分が騙される側に回ったのだった!天の計らいで自分の悪行は必ず償うようにできている。あなたはこれを読んで如何思いますか?人には果たすカルマも業も因縁もあると思いになりますか?5章では凜子の神秘体験や聖霊体験を綴ります。

アナタ 引き続き「凜子2016」を読みたいですか?

凛子の父、北村賢太郎は、凛子に父の思い出として、これだけを綴らせた。彼は、大きな一役を担い、見えない霊の世界へ、究極「光と愛」の存在へと・・・凛子を間接的に確実に導いた。彼は深い愛で凛子を包み、何不自由無く育て 凛子の資質を損なわずに成長させた・・・それが魂の絆だと思う。

言い換えれば、それは魂を総括する創造主、平たく言えば、神さまの無言の意思だと思える。凛子は神さまを、その昔は知らなかった。しかし、神様には始めからご計画があった、と思う。それを感じる凛子の感性。光があれば、闇もある!人は明るい陽光を求めているが、人間の欲に付け入りこの世を支配しようと企む闇がある。闇の存在は大きい。悪魔と知れば、光を求める人は善悪を自己判断できるようになる。5章では聖書について書いた。凛子の神秘体験や聖霊体験を記すこと、伝えることは凛子の仕事!この地上で果たす仕事の一つ!不思議な夢の数々について記し、夢分析することも大事だ。それが預言につながるからだ。凛子は精神科医でもない、夢分析する専門知識はないが、聖書をもとに話すことはできる。2章では、父の思い出を語り、凛子の生い立ちを語り、虐めに強い凛子を語った。さらに成長した凛子が、強い凛子として、確実に存在している。彼女が、この世を闇で覆わず陽光が射すよう ジャパンスピリットで日本をエスコートしようとしている。ジャパンエスコート戦略に、凛子2017を使うことになるとは、夢にも思わなかった!

そもそも、そんな大胆な発想も、構想もなかった、凛子。彼女は自分の可能性を、自分の全てをあの光に委ね、今できることに、凛子しかできないことに、人生の後半を費やしたい、と思っている。

2016年2月7日 蓼科にて 

車戸凛子

3章 青春時代


米国留学 航空会社 パリ遊学

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となさる。
(ローマ人への手紙、8章28節)

青春とは若い時代、人生の春に例えられる時期。希望や夢を持ち理想に憧れ、異性を求め始める時期。とある。試練の何たるかを知らない、責任を伴わない独身の特別な時期を、青春時代と呼ぶならば、彼女のそれは自由に飛び回った贅沢なエポックで16歳から26歳の10年間だろうか?希望や夢を持ち、理想を追い求めて、次から次へ行動に移した凛子の青春10年間は、あっと言う間だった。生い立ちに記した通り父親の庇護の下では全てが可能と思えた凛子は、自分の人生に対して肯定的で常に能動的だった。疑いが微塵もなかった。そして、先ず己ありき!だった。自分が大切で、私は何をしたいか…を再優先する、わがままで自己主張が強く要求の多い娘だった。彼女の独特な発想や言動は、恐れを知らず、妥協も許さなかった。また、彼女は10代から既に自分が確立しており、人に言われて気がつくとか、行動に移すタイプではなかった。集団行動をとらない、協調性のない、徹底した個人主義で、自分は他と違うと強く意識していた。実際のところ違っていた。彼女の桁外れた洞察力、直感力、決断力、実行力、理想を求める探究心や追求心は群を抜いていた。若いころの凛子に欠落した部分は忍耐心や受容心や寛大さだった。持続させることより、新天地を開拓する方を選んだ。加えて、理想とする異性に巡り会えなかったことが、功を奏し、後年、彼女の情熱や能力を、自分以外のものへ向けることで、大きな実りをもたらした。これも予期しないことだった。それらは後述するが、自由気ままな放蕩生活、冒険し続けた10年も、最終的に何を求めていたか、明確な解答も出せず、わからずに青春の幕を閉じた。凛子人生の経験体験の全てが、クリスチャンとして神さまへの最後のご奉公に、今後どれほど役に立つか、導き手の主に栄光を帰すことができるか、などなど、その頃は知る由もなかった。しかし、全て、主のご計画通りだったのかもしれない!彼女は運命論者ではない。運命とは切り開くモノ、彼女は自助努力型、精進する方だが、完全に意図された何か、全治全能で完全完璧に美しく、見事に創造する何かが確実に存在する、ある!と感じる。運不運もそのうちだ。人生の明暗を分けるのも、何かが働くのだ。生まれた年月日、何処に何時、どんな環境の下に、誰の元に、宇宙のどの星の影響を受けて、生まれたか、などなど、とても不思議な世界で、自分で選べるとは到底思えないが、わかっておられる方がいらっしゃるのだろう…と想像する。

凛子の魂は、昭和21年11月1日に東京で、あの戦後の混乱期に、あの両親の下に生まれることを選んだ。彼女は九紫火星でさそり座、中国の算命学によれば、石門星を三つ持つ。占いは信じないが、統計学上から言えば、これらが今の凛子の性格、性質、傾向、目指すものを、実に言い当てているので驚く。彼女は途中紆余曲折ありながらも、常に上昇気流に乗り、スパイラル式に目標に近づき、魂の学びと、世に生まれた目的を達成しつつ、最終的に理想を手中に収め、現実の仕事に反映させ、夢を手にする女性らしい!理想と現実の狭間で生きながら、夢をカタチにする凛子は青春真っ最中だろう。今はその最終段階にあると思える。人生の最終章で理想と大きな夢を現実化していく70歳の凛子。
本当に美しく、心惹かれるのは、真理と共にあるものだけよ!と平然と宣う、凛子!強運な凛子は、我が主のみを乗せる主の天馬か、神に仕える女忍者か、凛子は一体何者か…! 大人に成りきれぬ、ただの純真無垢な子供の女性か….何と形容しようか、この凛子…!異性を追い求める時期に、強烈な映画を観た!その映画の主人公に、多感な10代の娘は、決定的な男性観を植え付けられた!彼こそ理想の男性。永遠の男性像だった!凛子は口も利きたくない、食欲もなくなるほど、その主人公に恋し強烈に惹かれた。友人と帰路を共にせず一人別行動を取った。雲の上を歩いている気分だった。凛子未だ高校生。異性を知らぬ無垢な少女が、完璧な男に出会い、夢と理想を重ね、潜在意識の中で、そんな人を追い求めた。理想と現実の狭間で生きていく凛子がすでにこの時いた。その映画は「風と共に去りぬ」強烈な男女が、スカーレットオハラとレッドバトラー。女性ならレッドに誰も憧れるだろうが、凛子の場合はかなり重症だった。それがずっと尾を引いたのだから…。凛子の性格はスカーレットに似ていた。わがままで情熱的で気性が激しく、恵まれた環境にあった女性が、過酷な人生に立ち向かっていく。彼女の気丈さと、プライドに裏打ちされた毅然とした態度、勇気ある行動は、自信に溢れながらも、危うさを持ち、強烈に周囲を照らす特別なオーラを放っていた。優柔不断な男に、一途に恋い焦がれて、目が覚めた時には、愛する人を失い、慟哭し後悔し絶望する。それでも、明日に望みを託し、光に向かって歩もうとする、強いスカーレットに、大共感する。スカーレット・オハラ、彼女に計り知れない魅力を感じる凛子。スカーレット続編がさらによかった。


米国留学

凛子の大冒険は16歳で始まった!米国の高校生活を克明に綴った一冊の本に触発された凛子。
1960年代の米国はよき時代で、自由とアメリカンドリームを享受した、みんな憧れの大国だった。ベトナム戦争が泥沼化する以前の米国は、中間層の厚い所謂リッチな国で、国民は健全で大らかで寛容、懐の大きな国だった。1ドル360円!ドル持ち出しに制限あり、留学手順、手続きは難しく、留学ビザは簡単に降りなかった時代に、米国行きを独自のルートに求め、大胆にそれを決行した。凛子の長姉は米人外交官と結婚し、同時通訳者としてWDCの郊外に住んでいたが、姉を頼らず留学しようと凛子は、日本の高校半ばで、米国の州立高校の見知らぬ校長宛に、何十通もラブレターを書いて送ったのだ。写真と夢と想いを入れて!これが発端で凛子は16歳で米国へ行った!それは年頃の娘にとって、ワクワクどきどきの連続で、日々興奮状態!しかし、この計画を誰にも言わず、もちろん父親にも内緒、秘密裏に進めたのだ!本当に大事なことは、やり遂げるまで、目処がつくまで、決して口外せず、この鉄則!!1964年6月に羽田から飛行機で米国へ発った。東京オリンピックが開催された年だった。父親はどんな想いで娘を手放したか…愛娘を手放す気持ちは、どんなだろうか…?若い凛子は、一切気にせず、自分の想いのみ先行し、夢が実現するプロセスを想いっきり楽しんだ。普通の親なら先ず、反対!行かせはしないだろう。凛子の父親は特別な人だった。彼は娘の資質を見抜いていた、自分の頭で考え、行動し実行する娘を、内心あっぱれ!と評価し、その芽を親の一存で潰したくなかった。娘が選んだホームステイの相手先は十分に信頼できる判事の家だった。父親は多くを語らなかったが、二つ返事で承諾して見せたことが、彼らしかった!彼は、祈るような気持ちで凛子を手放したのだろう…! そして、彼の祈りは確実に聞き届けられた。渡米後の彼女は連日のように父親に詳細をイロイロ報告した。手紙書きを日課にしたのだ。凛子は子沢山の厳格な判事の家で、過ごした。期待に反して、少々窮屈な日常生活だった。円形の大きなマホガニーの食卓に毎回椅子を引かれて座る!パパがママの椅子を引いて、その後、ジョンやラルフが凛子やマーサの椅子を引いて、養子の幼児マークをママは傍らに置きながら、我々の食事はマナーに則り、にこやかに始まる…! エアハート家にはいつも彼らの儀式があった。やり方があった。教会でも別格な扱いようで、威風堂々とした判事は、あゝみなさんに尊敬されているんだな…と感じた。彼らは凛子に対しても、公平平等で愛情深く接してくれたが、やはり、少々窮屈な日々だった。学校は楽しかった。クラスメート達は明るく親切、校内を闊歩する日本人は凛子一人、東洋人はどこにもいなかった。先生たちにも可愛がられ、始終声をかけられていた。ゲーリーのオープンカー、コルベットで学校へ送ってもらい、週末には誰かに何かをいつも誘われる。凛子一緒に行こう!と声をかけてもらえた。ちっとも、寂しくなかった。学校でミスコンテストがあり、ミス火星に選ばれた。初デートもした。相手は、ドラムメイジャー!フットボールのゲーム前に、マジョレットと踊ってみせるバトンボーイだ。彼は、後に小児科医になった。ジャックは、オハイオ、コロンバスで開業中だ。一年楽しく過ごした米国!凛子にはそれで十分だった。日本が恋しくなり帰国するつもりだった。そこへ隣町のビジネスカレッジの校長、ミスターブラックバーンが凛子を彼のカレッジに入れたがった。その気の無い凛子に猛烈なラブコール!是非、ポーツマスに来て欲しい!最高のホストファミリーを紹介するから、もう一年アメリカに居て欲しい!…と大変熱心に勧められた。父親に相談した。これこれしかじか…どうしようか。すると、帰っておいでどころか、凛子の父は、やんわりと言った。もう少し、居てみたらどうだい? イヤになったら、いつでも、帰ってこられるよ!彼の上手な智もありアイロントン高校を無事卒業した凛子は隣町のポーツマスへ拠点を移した。ブラックバーン校長の言う通り、デイラーは、最高のホストファミリーだった!凛子が夢に描いた特上の米国の家だった。同じ、インテリドイツ系でも、彼らはリッチで自由で厳しくなかった。デイラー家は実業家、銀行家、弁護士、医者からなる名門一族だった。気取らないポーツマスのエリート達は、ティンマリンの丘の上に住み、デイラー夫婦は凛子をリラックスさせ、可愛がった。とりわけポリーデイラーのママから、宝のような思い出と生涯の影響を受けた。彼女は、人柄、雰囲気、話し方、歩き方、人との接し方、全て手本としたくなる、 オシャレで素敵な女性だった。ポリーは自分のラジオ番組を持つ、町の人気者だった!人はポリーにイロイロ期待していた!それに応えた女性がポリーデイラーだった。彼女はホワイトハウスの大統領主催の朝食会にオハイオ州選出で2回招かれた。女性初のアメリカ大統領になれると期待されるほどの人だった。デイラー夫婦は日本から来た小さな客人、凛子を我が子のように可愛がり、自慢気に紹介した。あなたがどうやってアメリカへ来たのか皆さんに話してあげて!に始まり、凛子の武勇伝は聞く価値ありだったらしく、彼らの社交の場へ連れて行かれ、質問攻めにあいながら日本を紹介した。今の凛子なら、しっかり日本文化や歴史も説明できるのだが、当時は本当にお粗末な日本代表だった。欧米人の女性を多く知る凛子だが、ポリーほどの度量を持つスケールの大きい人を知らない。米国滞在中、凛子はプライベートでよく旅行した。高校のシニアトリップ、卒業旅行はNYだった。WDCの姉宅を数回訪ねた。ボストン、ニューハンプシャー、フロリダ州のマイアミビーチ、フォートラダデール、風と共に去りぬの、あのアトランタ、フィラデルフィア、ナイアガラの滝、グランドキャニオン、ミシガン州のアノーバー、シカゴ、サンフランシスコ、ロスアンジェルス、ラスベガス、…たった2年間の滞在でこれほど多くを回ったとは!デイラー夫妻に案内もされたが、凛子の親戚も居たり、日本から次姉が訪ねてきたりで、旅行する機会に恵まれた。晴れた陽光の下で、膨らみ始めていた青春。

航空会社 インド航空

米国から帰国した凛子が真っ先にしたことは、運転免許の取得だった。教習所に通い、免許を取ると早速、父親にベレットという車を買ってもらった。1ヶ月は自宅のある成城から外へ出ない!と言う約束の下で…しかし、早々に約束破りする凛子!成城は出る、自由が丘へ行く、運転して大学へも行っちゃう、第三京浜は先頭切って突っ走っちゃう、茅ヶ崎の湘南海岸へもしょっ中ドライブ…!高速道路でスピード違反、駐車違反、進入禁止を逆方向から入る、違反ばかり!チケットはきられるは、事故は起こすは、で大変だった!ダンプと接触、対向車線にはみ出て玉電と危うく正面衝突、首都高速のカーブを曲がりきれず起こした事故…でも、いつも、誰かが助けてくれた!いすゞのトップセールスマンが、凛子の車の事故処理係!警察に顔の効く彼は違反キップのもみ消しもしてくれた…! スピード違反を立て続けに3回したことがあった!もみ消しの始末書と誓約書(もうしません)を3回続けて書く前代未聞さ!全く反省なしの困ったさん、凛子…。

凛子は、上智大学の国際学部へ通った。比較文化部の前身が国際学部で、帰国子女はいないが、凛子と似た境遇の留学組が数名いた。4人はいつも一緒だった。互いの家も近くて、大学へ車で通学した凛子は、彼らを家まで送った。国際感覚のある4名の共通の話題は、将来の話、ボーイフレンドの話、日本人の欠点の話、秀才タイプの一人を除いて、たわいのない話にキャッキャ騒いでいた。大学でフランス語を専攻したがフランス文学を目指すわけではない。目的も定まらず勉強する自分自身も嫌で大学に魅力がなくなった。凛子には勉強以上に、短期間にやりたいことがあった!!今思えば、凛子の資質や性格から言って、政治経済を学び、外交官、政治家を目指しても良かった…しかし、そんな環境になかった。誰からも影響を受けることがなかった。凛子は大学を飛び出し、航空会社で飛ぶことを選んだ。凛子が先ず先頭を切ったが、他の3人も凛子に続くかのようにスチュワーデスになった。

一人はルフトハンザへ、また一人はBOACへ、最後の一人もルフトハンザだった。凛子はインド航空に入った。インド航空で2年間飛んだ。因みに、この4名で今も現役で仕事するのは凛子だけ!ルフトのキャプテンと結婚した彼女は息子二人持つ未亡人、BOACの友人は2度結婚し2度とも離婚、最後にルフト入りした友人は未だ独身… みなさん、派手に恋愛結婚なさいましたが、凛子除いて全員一人身。凛子だけ、好き勝手、自由に過ごしながらも、何故か制約のある身…

インド航空

インダス川流域、インダス文明の発祥地インド、不思議な国、たくましい国、インド!シュメール神話とインダス文明、イナンナの統治したインダス地域 不思議なアヌンナキハラッパーにモヘンジョダロの遺跡、ガラスの街はオーパーツ?核戦争が古代にあった?拝火教、アユルヴェーダー、バラモン教、ヒンズー教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、お釈迦様(仏陀)の生誕地、疑い深いトマスの宣教、チェンナイのサントメ聖堂、古代インドの16大国、マガダ国、仏教に帰依したアショカ王、デリーの今も錆びない1500年前の鉄柱、インドアーリア人の作ったカースト制度、イギリス東インド会社にへポイの乱、大英帝国に300年も統治されたインドの歴史、マハトマ・ガンジー、人種差別、東京裁判のパール判事、ダライ・ラマの亡命先、半海洋国家インドと海洋国家日本の今後の関係、

あなたはこれらに関心ありますか?今の凛子にはどれも関心のあることばかり。世界が平和へなるには無関心でいられないことばかりです!日本が出来ること、日本人なら出来ること、たくさんあるのです…和の国ですから!私には、神秘的な国、日出づる国の民が、世界を平和へ動かす…鍵を握ると思えるのです!凛子は数あるエアラインの中で、特にインド航空を選択したわけではなかったが、上記の内容に関わることで、インドには古から、何か深い縁があったのだろう!と思う。縁とはそんなものだ!抗えない何かが引き起こす縁!そこで果たす何か役割があるのが縁!

10年も前のこと、話に花が咲き、ある人に凛子の摩訶不思議体験を話していた。すると彼女は、凛子をある霊能者に引き合わせたい!と言った。凛子は霊能者もピンキリだろうから、あんまり関心がない!と言うと、自分が信頼する人だから、是非と言われた。そこで、凛子に関する情報を一切何も提供せず!名前も言わない!を条件で霊能者に会った。約束の日、凛子はちょっとワクワクしながら霊能者に会った。すると、彼女は凛子を一目見るなり、あゝ、何故だかわかりました。と言った!今日お会いする方が特別な人だと、霊が私に教えていたんです。と言った。彼女は凛子に会う日が近づくにつれ、体調不調になり、耳が半分聞こえなくなった…云々を言い出した。そして、いきなり、あなたはインドにいましたね、エジプトにも、メソポタミア中東にもいました…と言った。凛子はハイ、私はあなたのおっしゃる地域は全部行きましたよ!昔、インド航空に勤めていましたし、エジプトや中近東はしょっちゅうフライトで飛んでいましたよ!…

さて、インド航空、ボンベイが拠点だった。貧富の差がこれほど激しい国はなかろう。マハラジャと下層民は天国と地獄ほど違う。ホテル周辺をうろつく乞食はたくましい。同情の余地がないほど、したたかだ。マハラジャの開くパーティーに集まる上流社会の人々、大英帝国が統治した名残を感じさせる建造物、競技場、社交場、虐げられた人が未だ崇拝するイギリス…ファストクラスの機内サービス、マナーは全てイギリス式、インド航空で出会った人々、ダライ・ラマをお乗せしたフライト、インドに居たから会えた人たち、そこで過ごした時間と空間、占い師から超一流のビジネスマンまで、スチュワードから優秀なパイロットまで…機種はボーイング707、格安航空券のない時代、満席など有り得ず、いつもガラガラ!いく先々で、次のフライトまで、たっぷり時間あり。始めは物見遊山で観光気分、

ナイル川のほとりエジプトカイロへも度々飛んだ。巨大なピラミッドもスフィンクスも見て来た。ピラミッドの不思議は未だ解明されていない。あのパワーは一体何…!どこからくるの?ピラミッドを見守る巨大なスフィンクスも本当は一体誰?真相は神話を究明しなければ、考古学だけではわからない!と思う。現代人の科学や知識、常識を超越した何かがあると思う。広大な自然サファリパークへの玄関口 ナイロビ ケニアはフライトコースだった。ベイルートは中東のパリと言われるほどオシャレで美しい街だった。パーレビ国王の統治していたイラン、テヘランは安全で西洋風でイスラム教色は濃くなかった。イギリスが清国とのアヘン戦争で奪取した香港もフライトコース、美味しい中華の食べ歩きにお買い物。ポルトガルの植民地だったマカオも美しい街だった。2年も飛べば、スチュワーデスの仕事もやはり魅力的ではなくなった。飛ぶルートは決まっていた。ボンベイステイも同じことの繰り返し、何ら目新しくない、建設的でなく、嫌気がさして来た。ホテルでブランチ、プールサイドでおしゃべり、誰かのパーティーにお呼ばれ、今日はどこで何する..仲間同士でスチュワーデスの仕事を酷評していた。私たちは体のいいウェイトレス、高級ウェイトレスだわネ!しかも、重労働!肉体労働者ヨ!技能者ではないし…!それでも、辞める人はいなかった。しかし、凛子は違った!彼女を引き止めるものは何もなかった。それで、凛子は2年で辞めた!さっさと、辞めた!彼女は大学に戻り、勉強し直すことに決めた。パリ、ソルボンヌ大学を選んだ。彼女は語学から入ろうと、ソルボンヌ大学の夏期特別講座の入学手続きを取った。デザインの勉強も愉しそう、国連の通訳目指すのもいいかも….! そんな調子だった。アメリカの次はヨーロッパだった!それも、パリ! ロンドンではなく、パリが良かった!フランスのパリへ行くのが目的となった!勉強は後からついて来る!行けば何とかなるだろう…単純な動機、大さっぱな発想と、大胆な行動、それが当時の凛子だった!1969年6月、パリへ行った。

パリ16区 ビクトリューゴ Rue de Sontay

パリに着いた!憧れのパリへ来た!凛子は疲れも感じず、シャワーを浴びて、さっぱりすると、早速、散歩へ出た。目が輝いていたのだろう…! 見るものが、全てが良かった!調和のとれた街並みと石畳は歴史を感じさせ、それは見事な景観、美しかった!そこへ、坂の上からスポーツカーが下ってきた。絵になる光景だった!思わず見惚れていたかもしれない!そのシルバーメタリックの車体の低い車が、凛子の横でピタリと止まった…! 話しかけて来る男性…無視しながらも気になる凛子!この人、一体だあれ?どこの誰? 何もの?相手も同じように感じたのだろう… . 。しきりに関心示す、パリ男!凛子の歩幅に合わせて、動く車…一角曲がり、また、曲がり、ホテルの周りをぐるりとほぼ一周、相手は完璧な英語を話す、何やらデートに誘う、それでも、戸惑う凛子…,!!出会いはそんな風だった。全く予期せぬ、突然の出来事!1分遅れても、すれ違っていただろう、この二人…!何で、しかも、パリ到着の初日に…!凛子の到着を待ち受けていたものが、これだったとは!28歳、旅行会社アジア館 MASON DE L’ASIA の経営者、Mr. Phillip D’Andreは、生粋のパリジャン、正真正銘のスノブな貴族!凛子はこの男性と付き合った。一流好みの凛子に彼の思考が一致していた。二人は惹かれあった。凛子にしてみれば、何故、パリで、私は勉強しに来たはずなのに… . 。フィリップは、凛子を絶賛した。貴女みたいな日本女性に出会ったことがない! と言った。凛子は、はっきり、物言うタイプ、物怖じしない、謙遜もしなければ、自分自身が明確な女性…それは日本人らしからぬだろう…。フィリップは彼女にパリを案内した!庶民から特上の生活まで、旅行者が行かない所、行かれない所へ連れて行った。蚤の市へ行った、そこで、アフリカの工芸品を二人で値引き交渉、買う気もないくせに…朝市では花束を買って部屋に飾り、半ぎりのメロンに赤ワイン入れて食べる、これ、フランス式だよ!と説明されながら… 。人気のクスクスを下町で始めて食べたのも、パリ!フォンテンブローへ行ったのも彼と、ダンドレ家の北の別荘ドービルへも連れて行かれた。凛子の下宿先は16区のヴィクトリューゴ、高級住宅街の一角、Rue de Sontay, 彼の実家がその真裏、毎朝、バラの花が一輪、凛子の下宿に届けられた!下宿先のおばさん、もう、びっくり! また、届きましたよ!凛子もびっくり! 学校が終わると、迎えに来てくれた。ラテン地区にある、ソルボン大学の夏期講習には欧米の学生が集まった。日本人は殆どいなかった。先生はノン、ノン、ノンオングレ(英語)全てフランス語で説明、生徒は3ヶ月もすると耳が慣れ、彼女の説明も理解するようになる。流石、ベテラン教師!日本人はたむろして学費の安いアリアンフランセに通っていたようだ。フィリップは勉強も手伝ってくれたが、凛子のフランス語は遅々として一向に上達しない!フランス語はリエゾンを聞き取るのが難しかった。フランス上流社会の人達の暮らしぶりは彼を通して知った。彼らはパリのマンションの最上階を独占して住み、専用エレベーターを使い、お城を地方に持ち、バカンスは地中海で… 確実に階級社会の中で暮らしている!一緒に暮らしたい!と言い出したフィリップ。凛子がインテリアデザイナーになるのが夢!と言うと、このマンションを好きに模様替えしていいから一緒に住もう!と言い出した。彼は、恋愛も自由なフランス男、一方、凛子は母親に厳しく言われて育った?出立間際まで、凛子、操は大事にしなさい…と!凛子は自由奔放でいながら、どこかで、ブレーキがかかる、この矛盾!二人は、一緒に住もう、住まない!住めない!とすったもんだ….!!大人になれない凛子とそれを求めるフィリップは、ギクシャクし出した。そして、最終的に別れた!パリの冬は陰鬱だ!日は短く、太陽が照らず、どんより…そんなこんなに、耐えられなり、凛子は1年足らずで、帰国した。凛子の青春の花は甘く切なくパリで咲いた。パリは凛子の特別な思い出がある街!多分、パリは人に恋させる街なのだろう!いつか凛子の孫たちが年頃になり、これを読んで、おばあちゃまの青春に思いを馳せるかもしれない…! こんな人だったのネ、と祖母を偲ぶかもしれない。

航空会社 アリタリア航空

インテリアデザインも通訳の仕事もパリへ行く口実だった…! 凛子は仮の夢もさっさと捨ててしまうと、やはり、飛ぶことにした。彼女は次にアリタリア航空を受けた。凛子がパリに居たと聞くと、即、インタビューはフランス語に切り替わった。当時はやはり、フランス語が話せた。凛子独特のキャラと彼女の経験豊富さが、対話相手と距離を生まないのだろう…面接でも同様だった。イタリア人支店長と愉快なおしゃべりに終始した…共通の友人も発覚したりで、会話が盛り上がった…さて、アリタリア航空、紺とグリーンの斬新的な制服だった。イタリア人のシャープなセンスを感じさせた制服は着るのも楽しかった。イタリア人は抜群にオシャレだった。彼らの拘りは、見事!だった。男性が背広のポケットに何も入れない。ポーチを持って歩く、背広の型崩れを防ぐために…女性に声かけるのはエチケットだ、くらいに、気軽にチャオ、と声かけてくる!いやになる…イタリア人のフルコースに付き合ったら、胃がもたない… 兎に角、よく食べる!よくしゃべる!ランボルギーニー、マセラッティ、彼らのスーパーカーは、超かっこいい!コックピットにもかっこいいパイロットが数名いた…イタリア北部と南部は気性も違う、北は真面目、南は楽天的で異人種…東京とローマ間を北ルートと南ルートで飛んだ。香港、バンコック、ボンベイ、アテネを経て、ローマへ入り、北ルートはアンカレッジ、北欧からローマへ入った。今は、給油する必要もない、大型ジャンボ機が、給油なしで、どこへでも行く。クルーは気の毒なほど、労働時間が長い、ステイが短い..凛子の時代は、入るのは大変だが入ったら、重労働を覚悟すれば、天国なほど、楽な職業だった。日本人スチュワーデスはショッピングが大好き!みなさん、靴にハンドバッグ、手袋に洋服…なんでこんなに、夢中になるの?って思うほど、殆ど全員が、目を輝かせてショッピングしていた。凛子はブランド志向でも無く、買い物はホドホドだった。いつも、どこへ遊びに行こうか…何をしようか考えていた。ショッピングはいつでもできる!と思っていた。なので、この次のフライトはスキーへ行こう、郊外へ出て太陽道路を走ろう… そんな計画ばかり立てていた。そんな調子だから、太陽道路をフィアットのスポーツカーで突っ走り、ダボスへスキーに行き、トリノからもスキーへ、アンカレジではアリエスカへスキー、バンコクではパタヤで水上スキーにアクアラング…遊ぶことばかり、実によく遊んだ….!!物を買うより、もっとワクワクするものが欲しかった凛子。スリリングな経験や行ってみたい、やってみたい、実体験が欲しかったのかもしれない…。当たり前にイタリア語を話すイタリア人、IATAという航空協定があり、EEC加盟国のスチュワーデスと一緒に日本人は飛んでいた。ところが、クルーチェンジする場所が違い、日本人は何故か長く飛ばされた。この二つの理由から、しばらくして、パンアメリカン航空へ移ることに決めた。パンアメリカンは、当時、世界の翼と呼ばれ、本格的に長く飛ぶには、理想に近い転職先だった。

入社テストは合理的だった!時間と手間の短縮!まず、電話インタビューで合否即決、受かればば筆記試験に呼ばれ、それも受かれば午後に面接、そのあと、健康診断に呼び出され、それで決まる。

面倒な書類選考は一切ない!驚くほど早い手順で進む!合理主義の米国らしい選考の仕方だった! パンアメリカンに受かり、アリタリアに辞表を出した。しかし、そこで、大問題が生じた! 父の待った!!が入ったのだ…全てを黙認し、許していたはずの父が、もう、これ以上、飛んではいけません!あなたは日本に居て、地に足のついた生活をしなさい!と、言ったのだ。それこそ、晴天の霹靂! 凛子は親の庇護の下で色々なこと、さまざまな冒険をしてきた。それが、初めて、ノーと言われた。彼の言葉は重かった!…..自由奔放で破天荒な凛子の上を行く、凛子を制することができる、上質でパーフェクトな男性に出逢ったことがない凛子。あのフィリップ、Mr.Phillip D’Andre は例外だったかもしれないが…ボーイフレンドは普通に居た。レーサー、俳優の弟、パイロット…でも、誰一人、彼女を夢中にさせなかった。凛子の男性観は厳しく、自己主張の強い彼女は、相手にも多くを望んだ。何事にも妥協できないのが凛子だった。凛子にはこの人は違う!この人も違う!…としか思えなかった。特別な感情は湧いてこなかった… 凛子の欲する相手ではなかった。あのレッドバトラーにたどり着くには、凛子自身が幼稚で、何事も学べていない、成長段階にあるのか、出会いはなかった!そこへ、父親の意味深い、重い言葉があった。凛子の戸惑いはどんなだったか…しかし、父は、最もまともなことを言っていた。地に足をつけた生活…凛子の10年を危うい…と思ったのだろう。ハラハラしてみていたのだろう。もう、十分と思ったのだろうか…パンアメリカンで飛ばれる前に、なんとかせねば、と思ったのだろう。彼は、断固、凛子を日本に止め、彼の身近に置いておく気だった…凛子にとって、父親は絶対的存在だった、故に、父の言葉はまともに堪えた。天の声のようにも聞こえた。彼の反対を押し切り、自分流を押し切るのが、とても怖くなった!彼女は自分の人生を真剣に考えられず、自分の未来に期待が持てなくなっていた。青春の10年間をあまり好き勝手に生きた凛子は、その先に何があるのか、何が待ち受けているのか、わからなくなっていた。冒険は、どうでもよくなっていた。やりたいことをすべてやった、そんな感があった凛子は、理想の男性など、いないのだ… そんな男性はいなかった…と思い始めていた。それで、凛子は言われるままに見合いをした。相手は、ビル持ち、土地持ち、資産持ち、金持ちの歯医者一家の次男坊だった。凛子の青春10年を概要で綴り男性観や個人的夢も記しました。アナタの青春は如何でしたか?世界を駆け巡り、好きなように、好きなだけ、好きに、過ごした凛子の青春10年。この後「凛子結婚」へ続きます。後半の凛子は幾多の試練を乗り越え、一回りもふた回りも大きく、成長して行きます。自由奔放な女性が結婚という制約の中で、どう生きたか? 新しい環境の下で、凛子は持てる才能と能力を生かし、社会と引き続き関わりを持ちます。そして、さらに驚くことに、自分勝手で個人主義だった凛子が、なんと、奪うのではなく、与える側に回るのです。人の持つ能力や才能を引き出すことに、喜びを感じるようになります。それによって、凛子自身が成長していきます。やり甲斐のある仕事として、育児、子育てがあり、さらに英語を教え始めます。英語教師として、生徒と接し、彼らの持てる能力を引き出すことに熱中します。また、歯科医と結婚した凛子は、夫のサポート役で歯科医院に入ります。そこでは、サポートどころか、経営者として凛子の本領を発揮することになります。こうして、凛子は青春時代と全く異なるステージへ進みます。凛子の本質は変わらずとも、生き方が変わっていきます。そんなことにもアナタ、関心ありますか? アナタ、そんな凛子に惹かれますか?

車戸凛子 2017年2月8日 蓼科にて

4章 凜子結婚


結婚、子育て、英語塾開校、父の死、院長夫人凜子、光の体験(神秘体験)
新宿本院、凜子本領発揮、烏山分院開設、霊的体験の数々、烏山閉院してNPOへ
超スーパーDNAが世界を救う、エフライムへの祝福、日出ずる国、聖書預言、14万4千人

凛子の結婚

愛とは寛容であり、情深い。また、妬むことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法しない、自分の利益を求めない、苛立たない、恨みを抱かない、不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。(コリント人への第一の手紙13章4節から)

人にとって、氏、生まれ、育ちは、とっても大事だが、さらに大事なのが 環境だろう。その人間を作るのは、環境だ、と言っても過言ではない。さて、結婚。50年近い彼女の結婚生活をA4、20ページで収めよう、などと、所詮不可能。独特な個性と感性を持ち、好奇心に満ち溢れ、自分の人生をより豊かに生きようと、試行錯誤しながら冒険を恐れず、挑戦し実践し行動に移して来た、こんな女性の半生を20ページで綴ろう、というのだから、所詮無理がある。しかし、やらねば、この先がない。彼女の真の挑戦はこれからなのだから!!最終目的地に多くの友人たちを連れてたどり着けるか否か、この一冊が担う役目は大きい。

人の人生を山登りのよう、とするならば、山をいくつも登る人もいれば、登らない人もいる。険しい山を好む人もいれば、なだらかな斜面をゆっくり楽しんで歩く人もいる。いずれもOKだ。お好みだから。凜子は山登りなど、全く関心がない!ましてや、苦しい山登りなど、まっぴらごめん!海の方が好きだ!しかし、凜子の結婚は、否応なしに、山登りを強いられた。好き好んで山に向かったわけではない。気がつけば、そこは山だった!それも、かなり、難易度の高い山だった!途中、崖から落ちたこともあった。崖下にうずくまって、助けを求めたことも、度々だった。雪山を登る時は雪崩にも巻き込まれた。山登りの最中では美しい虹も見た。満天の星空に勇気づけられたこともあった。凛と咲く高山植物にも出会った。空高く飛ぶ大鷲に自分を重ね合わせ、すべての造り主である創造主に思いを馳せ、自然の雄大さに感動して来た。凜子の青春時代は前述の通り、10年絶えず環境を変え、いつも何かを求めて、世界を飛び回っていた。しかし、探し物はみつからなった。彼女の欲しいもの、手にしたい究極の宝物は、出てこなかった。自由、気まま、夢を求める不安定な時期を、青春時代とするなら、彼女のそれは正にそのようだった。そこで、長い年月を費やした結婚生活。険しい山をいつくも登らざる終えなかった、結婚生活。しかし、山登りで鍛えられた強靭な精神と肉体。これこそ、お宝だろう!環境は正に人を作った。では、いかに、彼女が置かれた環境に立ち向かったか、めげずに、突き進んだか、楽しんでお読みください。そして、共感するものがあれば、友人と共有してください。あなたに勇気や夢や希望が与えられますよう、あなたの夢も叶いますよう、お祈りしています。さて、本題の結婚。

「これからは、地に足をつけた生活をしなさい!」と父の一言!で諭されるように見合い結婚した。相手は、ビル持ち、土地持ち、資産持ち、金持ちの歯医者一家の次男坊だった。仲人はどうしても二人を結びつけたいらしく、美男美女の似合いのカップル云々で大変熱心…しかし、お似合いどころか、正反対の二人で、もう大変… 最初から大騒動だった!新婚旅行先で早々に大喧嘩、結婚生活など、不可能だろう、と思えた。何もかも全く違うとは、この二人のことで、衝突ばかり。何故、結婚したんだろう… 私はこれからどうすればいいだろう…? 自問自答の連続だった。彼女はあれほど、自分に正直で忠実に生きて来たのに、結婚でお先真っ暗!になった。自分を責めたり、相手を責めたり、傍目にはそう映らずとも、日々葛藤した。愛もなく動機不十分で始まった彼女の結婚生活は大型台風に何度も見舞われた。夫婦船は座礁し、転覆寸前になるが、それでも、家庭崩壊に至らず、沈没せず、現在も続いている!これは、奇跡だろう!天の恵みだろう!二人は一種運命的出会いをしたのだろうか、互いに果たすカルマがあったと思える!二人は三人の子供に恵まれ、今では七人の孫までいる!結婚のおかげで、得たものは大きい!計り知れないほど貴重な経験や体験をしてゆく凛子!独身時代とは全く異なり、始めて、自分の人生に言動に責任が伴った。それは、ずっしり、重かった!愛するとは何か…を学び続け今に至る道がある。愛する者に始めて出会った!自分本位に生きて来た若い娘が、湧き上がる愛を肌身で感じた。文句なく可愛い!愛する、全身で守るべき存在ができた。それは、幼気なこども達だった。可愛かった!自分のことなど、もうどうでも良くなった。無条件で愛する愛を始めて知った。父親が、まさに、愛娘を可愛がったように、彼女は自分の分身を可愛がった。愛する…これは始めて知る感覚だった。与えられて来た愛は、愛する側に回った。それは、すべてを必要とした。愛することは、すべてだった。子供ができて家族が居て、始めて、経験する数々。家族や仕事や社会との関わりの中で経験する数々。彼女の性格も、相手の性格も、長い年月を経て、互いに矯正されていった。特に夫は変わった!夫は、世の大多数の男性同様、事なかれ主義の現状維持型。行動を起こすより問題を先送りしたい人。一方凛子は真逆で、彼女には男以上に男性的要素が強かった。新婚当初は打ちひしがれ、夢や希望が持てず、絶望感や閉塞感で一杯だったが、持ち前の性格がそれでは終わらせなかった!彼女は、置かれた状況を十分認識し、現実を掌握すると、いつでも、より良い方向へ進むよう、あらゆる機会で正論を述べた!そして、相手を動かし、ことを動かし、責任を持って、やって見せた!若い頃に得た経験や体験、感性で学んだことは強かった。過去の経験則から来る自信や価値観、世界観の広さは、結婚相手を圧倒した。こうして、結婚を通して、ますます強くなった彼女は、その時のベストをカタチにした。それが、子育て、英語教育、クリニックの経営、これら全てに反映され、活かされて行った!霊性も感性も人間力もカルマも運命も違う二人が一緒になったのだ!衝突するのは当たり前!互いに違う過去生があり、この世で果たす役割やカルマがあったのだから… 生きる目的も、意味も、人生に対する認識も全て違って当たり前だろう!二人が互いに歩み寄れたら、結婚はまず成功!

それぞれが、生きた証と子孫の繁栄という、祝福と栄光を、後世に残すことになるのだから!… 彼女と夫は現在二人暮し、世田谷の住宅地、88坪の東南の角地に、新居を構えて、この地で子育てした。神社仏閣の設計者が、初めて民間の家を設計した家、宮大工が建てたこの家に住んで40年! その家に初めて、朝日が差し込んだ!昨年、東の家が撤去されて、朝の陽の光が、差し込んのだ!その光に祝福されているように感じた…。なぜか、とても、嬉しかった!40という数字が聖書的に特別な意味を持つからだ。あの自由奔放で自分本位に生きた若い娘が姿を消して40年が過ぎた。夫と真逆の性格が、感性や価値観、世界観の違いが、永遠に埋まらぬ距離を作り、彼女を苦しめた。一方で、通常の結婚では有りえないほどの経験や体験もした。自己中心だった性格は完全に変わった。性格は練られ鍛錬されていった。幸いにも、彼女には有り余る情熱を注げる対象が常にあった。

子育て

子育ては楽しかった!やりがいがあった!自分の持てるすべてを子供に与えたかった!それはごく自然に湧きあがって来る感情だった!本気で人を愛したことがない者にとって、彼らは無条件に愛せる対象だった!おんぶもした、抱っこもした、おんぶに抱っこもした。あのお洒落で背筋を伸ばし闊歩していた彼女が、車をぶっ飛ばし年中スピード違反していた若い娘が、料理など何もできなかった女性が、母親になった途端、考え方も見方も行動のすべてが、変わって行った!子供最優先!何事も常に、まず、子供在りき!なのだ。世の母親と同じように…! そして、見識豊かで感受性の鋭い彼女は、与え方と何を与えるべきかを心得ていた。一姫二太郎、三児の母親。彼女は当たり前に教育熱心だった。見返りを求めないアガペー的愛は、経験豊富な人生の達人、父親からごく自然に学んでいた。如何に子どもと接し、彼らと交わり、子供たちの持つ力をのばし、天性を損なわず育てるかが、一大関心事となり、それに終始した。夫に特に何も期待しなかった。常に「凜子流」だった。英語も自分の子供に教えたくて英語教室を作った。青春時代に英語を教えるなんて、考えもしなかった!しかし、他人に任せるのを良しとせず、自分自身が英語教師となった。子供を愛するが故に、自分は最高の教師になれる!と思い、それで教え始めた。子供のおかげで、英語を如何に楽しく効果的に学ばせるかを考え、方法を編み出し、独自に「凛子メッソド」を開発して行った。子供が幼い頃は、遊びに運動に勉強に、社交に大忙しで、子供中心の生活をしていた。子供と一緒に遊んでいたのだろう…!冬はスキー、夏は海にプール、テニスに旅行にさまざまなキャンプ、いろいろ、体験させた。人をもてなし、楽しませたり、喜ばすことも、昔から好きだった。彼女は親戚や友人知人も招き、家族と接待した。クリスマスに正月、BQパーティーにベビーシャワー、誕生祝いになんとかかんとか…! 実に多くの人を自宅に呼んだ。子供は親の後姿で学ぶ!というが、今では、彼らも、子育てしながら、上手に人をもてなしている…! 代わる代わるに、来客している。楽しみながら…!3人の子供達も同じく全員留学した。英語も何とか話す。数学はそれぞれに家庭教師をつけた。啓育教育には時間とお金と精力を費やした。彼らは、桁外れの母親を持った反動か、ごくまとも!世間一般の基準で考える、枠をはみ出さない、全員揃って、常識人だ!凛子の特質を一人も受け継いでいない!長女はカトリック系女子一貫教育を受け、JALのスチュワーデスで8年飛び、新潟出身の男性と結婚。二人の子の母となり、子育てしながら、やはり英語を教えている!長男はスポーツ万能、高校まで、パイロットか外交官を目指したようだが、最終的に父親と同じく歯医者となり、やはり、嫁さんにJALスチュワーデスを選び、二人の愛娘を得て、まともに暮らしている。末娘は、ジャーナリスト志望だったが、やはり、親と同じ道!歯医者になった。彼女は某テレビ局の報道マンと結婚。2歳の息子に兄弟を、と思ったら、双子が生まれ、もう大変、まいにち、大騒動、ヒーヒー言いながら、子育て奮闘中!彼女の子育てはかなり成功した部類だろう。全員が桁外れの親を信頼しているらしいから…! 彼らは彼女の言動に、呆れているのだが、やはり、母親の存在は、彼らにとって、大きいようだ。大なり小なり母親の資質も受け継いでいるが、やはり、全員、別個の個性だ。当たり前に….衣食住、食はもちろん大事だが、快適な巣作りは自分のテリトリー、子孫繁栄に欠かせない。家の改築や模様替えに始まり、お金を掛けず、つまり、贅沢せずに、拘りのインテリアをしてきた。2軒の病院を経営している時は、実に大変だった!よくも、あんなことを20年近くやり通したものだ。誰よりも働き、責任ばかり背負って、自分のことなど、一切構えず、できず、独身時代のようにプライベートを楽しむ時間など皆無だった。それでも、家の中が整然としていないと、落ち着いて仕事ができない。なので、忙しい人だが、家の中は大抵片付いていた。土いじりが好きでガーデニングに没頭する時間も作った。読書も好きだ。聖書に始まり、あらゆるジャンルで読む本が常にある。凜子はかなりの情報通だ。好奇心が強く、関心事が多いので、人の知らないことも多く知っている。多方面に人脈のあるせいか、驚くような、極秘情報までが来る。彼女は、やはり、甲賀忍者、忍者の血を引く、クノイチだ。

英語塾開校

人に教えるとは、情熱だけではダメで、引き出しを多く持つこと、生徒に何を聞かれても答えが出る、何倍も知識や経験がある!ということだ。しかし、彼女には、それらが足りなかった!生徒に理想的な英語を学ばせたい!聞けて、話せて、読めて、書ける、英語。真の英語力を自分の生徒に、身につけさせたかった!凛子の英語は本場仕込みと言っても、耳から入る英語で、文法力に欠けていた。生徒も優秀で、どんどん、力をつけて来た!そこで、彼女自身が学校へ行った。津田塾で上級英文法をとった。1年間、それは、面白かった!講師は津田塾卒のOG達!英語の達人揃いだった!文法力も耳から入る英語で、留学時代に、かなり、鍛えられていた、ということがわかった。しかし、文法をしっかり、達人から学んだということで、教えることに一層、自信が持てた!優秀な生徒を持つと、教師の質も向上する!相乗効果があるのだろう…! 少数精鋭の「凛子の英語教室」は評判になった!できる生徒は益々できるようになり、飛び級もさせた!能力のある生徒は、学年を超えて上級クラスにどんどん入れた!彼らは、必死でついて来る!先輩に遅れまい、迷惑かけまいとして、このクラスで必死に、頑張る!結果、その生徒たちはさらに、伸びる!先輩以上に力をつけ、どんどん伸び、開花する!実際、その様子を教師として見てきた。彼らの変化を、目の輝きを、真剣さや熱意を感じてきた。それを嬉しく思いながら、双方に気をくばりつつ指導した。英語を通して、他に教えることは多々あった。多分、凛子の考え方、生き方に、彼らは魅せられ、尊敬もしたのだろう、彼らは凛子先生に全幅の信頼を寄せていたようだ。親には、うちの子供は親の言うことを、ちっとも聞きません!先生の言うことなら、聞きます!先生からうちの子供に言ってやってください…!彼女は、ただ笑って済ませたが、こんな調子だった。人には能力に差がある、あって、当然だ。みんなが同じはずが無い!そんな不公平な、と思うのは間違いで、能力の差イコール個性の差! 本人の向き不向きを、最適を、見つけてあげるのが、教育であり啓育だ!と思う。昔はあったが、今は無き、飛び級。この飛び級システム無しでは、日本の教育は劣化する。質が向上しない、スバ抜けた能力の持ち主も埋もれてしまう!優秀な頭脳が海外へ流れてしまう。これでは将来のノーベル賞候補が育たない。人財を失えば、国力は低下し、国の損失だろう。彼女は最高の教材を用意した。プログレスとアート英作文を教科書に与えた。こうした一流思考は妥協を許さなかった!生徒にも完璧を求めた。速読、音読、速読をノーミスでリズミカルにさせた。長文読解力は、自分の耳を通してごく自然に入る!アクセント、発音、イントネーション、切る箇所、切れない箇所、すべてをチェックしながら、授業を進めた!英作も段階を踏みながら年中宿題!スペリングだ、単語だけ覚えるなど、愚の骨頂で、文章は、句と句の連続だから、語句で覚えさせた。それを組み立てるだけ!あとは語彙を増やす。聞く耳を養う、英語は話す道具、伝達の手段だから、耳がよく、よく聞ければ話せるようになる、と思っていた。彼女は自分流のメッソドで、生徒達を引っ張った!こうして、英語を教え続けた!まず、自宅を開放して子供達と接した。その後、烏山に病院をオープンすると会議室で教えた。分厚く、とびっきり贅沢な、杉の巨大デスクで、緊張し勉強する子供達。
子供には常に本物を、まがいものを与えてはダメ!彼らの感性が、敏感にそれを受け止めるのだから…
この間、接した生徒や親たちは軽く百人以上いる。英語を通して生徒の持てる力を伸ばし、未来への可能性を広げる、彼らに気づかせる!これは正に遣り甲斐があった。教師が天職のようだった。

ある日、ICU(国際キリスト教大学)付属高校の英語教師が「凜子の英語塾」の参観に来た。そして、生徒たちの実用英語の凄さに、まさか、と驚かれ、ショックを受けたようだった。マジマジ聞かれた。「どうしたらこんな力がつくのですか?」と。凜子は「私はやれる全てをやりました」「そして、優秀な生徒たちが、それについて来てくれました」と、そう答えるしか無かった。事実そうだったから。優秀な生徒を伸ばすのは、そんなに難しいことでは無い!元々備わる力を引き出すだけだから、それにしても 教師冥利に尽きる!これだけ褒められ、親からも本人からも、感謝されれば、誰だって嬉しくなる!医者と教師は、人に感謝される職業の筆頭だろう。こうして、「凜子英語塾」は、28年続いた。烏山病院を閉めるまで… 実用英語を教え続けた!彼女は様々に言われて来た。生徒には先生はいつでもイエスと言う、絶対ノーと言わない!と言われ、アナタは一度逢ったら忘れられない、カリスマ性があります、強運の星の下に生まれたんですね、あなたはモーゼのようだ。100年に一度出るか否かの女性だ。あなたは個人の所有ではいけない、あなたはみんなのモノだ。あなたは人に与えるものを一杯持っていますね、アナタはπ型人間の人財だ、目に力がある、凄いパワーですネ、ヒラリークリントンに似ています、特別なオーラがありますネ….貴女は純粋ですね、純粋の塊だ。あなたはいつも直球を投げますね、変化球は決して投げない。ゲームが終わって、観客が帰った後でも、未だ、投げ続けている!そんな人だ。あなたはルール違反ばかりしている、レッドカードが10枚あっても足りない、とっくに退場だよ。君は海から上がって、両生類に進化したんだネ。人は凛子と接すると、様々に感じるのだろう。しかし、当の本人はあまり意識しない!大なり小なり当たっているくらいだ…直近で、“あなたは黒潮だ。”と言われた。思わずえっ?と聞き返せば、“あなた自身が黒潮だよ!”“その上をタンカーも通れば小さなヨットも奔る。貴女はみんなを載せて奥深いところを流れていれば、それだけでいい”。そんなニュアンスだった。これには驚いた。彼女は世界最大級の海流(日本海流)黒潮が昔から好きだった。黒潮が日本へ齎したもの、運んで来たものに、恵みやロマン、古の歴史を感じて来たから、黒潮に深い愛着と感謝があった。彼女自身は誰の云うことも大して聞かない、いつも、我流がある女性だ!でも、この言葉に響いた。嬉しかった!この人はこの私を直感で理解しているな、と感じた。そして、この表現は、これからの自分を云い得ているなと思えた。まるで、彼女の信じる神様が彼に云わせたように感じた。独身時代はもちろんだが、結婚後も神秘体験含めて、さまざまに、多種多様の貴重な経験体験を、して来た、させられてきた。 2017年の秋には、凛子のVIPルームと称して、会員制インターネット有料サイトを作ろうと思う。その番組の中で、実話を語り、光について証しをし、人が知るべき有益な情報を知らせたい。聖書のメッセージから、生きる意味と永遠の命についてお伝えしたい!一人でも多くの人が、主イエスの愛に目覚めれば、その方はブドウの木に繋がる枝となり、良き実を結ぶ…!と、確信する彼女。そんな、導きのお手伝いができれば、凛子の魂が喜ぶ!地上に生まれた主の御霊が喜ぶ!遠くまで届きそうな、この声で、良きエネルギーや波動を、言霊を皆さんへ贈りたい!と願っている。これも、今年70歳、70年という特別な年月を経た、ライフワークとして、今年の夏から、取り組む予定! その時は、ぜひ、アクセスして下さい。凛子のVIPルームを、お楽しみ下さい。有料サイトが上げる収益で、ポラリス&チルドレン育英財団を作ろうと思う。教育は国の根幹を成す。まず、人財ありき!国が繁栄するには、啓育や教育が最も大事!日本の子供たちの啓育に教育、人類の明日を担う子供たちを、北極星、不動の星、主イエスキリストが永遠に導くように、名付けた。凛子の命は始めから、終わりまで、主のものだった。彼女の霊は主の霊と、つながっていた。彼女は、イエスさまを通して、始めから創造主に守られ、光に育まれながら、人間として主の器の一つとなるよう、地上で鍛錬されて来た。彼女は、主のご計画の一部に組み込まれ、主の器に相応しい言動がとれるよう、高い山を登って来たと思う。そこで、今、地上に生きた証として、志を同じくする者たちの役目として、全てを神に感謝し、神の手に委ねながらも、日本のヤマトを創出し、世界へ向けて、ヤマトの心をエスコートしよう。それが、JAPANスピリット倶楽部の、これからすることだ。壮大な計画と世界戦略をもとに、夫々が得意分野でプロジェクトチームを編成し、スーパーDNAを持つ同志たちと行動するつもりだ。歴史を含めて、真の日本を紹介するのは、大変な大仕事だ。日本人の底力、神さまから頂く賜物を生かして、みんなで、経済再生しながら、社会貢献しよう!

どれほど、遣りがいがあるか。是非、やろう!個人の力には限りがあるが、グループで、効率的に、組織的に動けば、ダイナミックに進む!それが、生きる醍醐味!創造主に向かってひたすら前進しよう。それぞれが、持てる力を発揮して、神様と聖霊の力を借りて、やり遂げたい!

来るべき未来、来るべき者たちの、あるべき姿として、手本となし、先手を打ちたい!
なので、JAPANスピリット倶楽部の船が2017年、秋に出航する!
日出ずる国の港から大海原へ向けて…
世界の国々の五穀豊穣を願って出航する!この船出を共に祝って頂けたら嬉しい!    


父の死

親の庇護の下に、自由にのびのびと育った凛子が結婚でつまづいた。夫と喧嘩しては実家に帰る。
父親は何を聞かされても静かに諭して夫のもとへ返す。苦悩する愛娘を見ながら、彼女の良さが見抜けないダメ男だと、腹の底で、煮え繰り返りながらも、彼はそんなこと、お首にも出さず、家へ帰した。
父は相当な覚悟と決意で、手塩にかけて育てた娘、子持ちの彼女を引き取り、再出発させようとしていた。そんな思案の最中、彼は肝臓癌に侵され、壮絶な死に方であの世へ旅立った。昭和51年12月8日に成城学園の自宅で、密葬が行われ、北村出版、太陽印刷の代表取締役として、翌年に社葬が浅草の寺で執り行われた。参列者の多さに生前の父の人脈の広さを見た。その時、31歳だった。

当時の凛子は、まだ、自分の真の強さに気づかず、父親の存在と自分を切り離して考えられなかった。父の死後、半年も経たず、心身に変調をきたした。左手の薬指に始まった小さなデキモノは、皮膚病となり、手に足にどんどん広がり、皮膚科に通うようになった。絶望するほどひどい状態だった。数年後にやっと完治した。暫くすると、今度は精神が不安定になり、うつ状態か、精神性の病気なのか、自ら進んで精神科の門を叩いた。ここで、また、病院通いするようになった。ここから自分探求の旅が始まった。彼女は自分を知りたい!と思った。自分とは何者ぞ!と知りたかった。抱える症状の数々を精神科医に訴えた。医者は薬を処方した。しかし、何も改善しない。ドクターには薬療法ではなく、カウンセリングで週一回来るように云われた。そこで有名な精神科医のカウンセルを週一回受けるようになった。それも2年間!そこでは凛子の話を穏やかに、じっと聴く医者がいた。彼女は夢中で話した。落ち着かない精神のこと、父のこと、自分のこと、家族のこと、過去の生い立ちから、現在の状態、そして不安な未来まで、詳細に話し続けた。2年経ち、話も出尽くした頃、医者にロールシャハと文章完成テストを受けるよう勧められた。自分究明には何でもしたい彼女は、テストを承諾した。ロールシャハは専門医と相対する面接形式で、文章完成テストは宿題として与えられた。自宅に戻ると心に浮かぶままを記入し、担当医へ提出した。そして、1か月後に凜子の性格判断、考え方の傾向、資質、気質、特質、天性に備わったもの、等いろいろ、ロールシャハでの面接と、文章完成テストの結果が、克明にリポートとして記され、担当医から説明を受けた。内容としては、積極的で自信があり、真面目だが豊かな内面を持ち、人生を創造的に生きようとする、上昇気質の持ち主で、物事を昇華する。精神科に通うタイプでは全くない。一流思考で理想が高く、完全完璧を求め、それに向けて努力するタイプ。簡単に云うと、こんな風で、えらく高い人物評価を得た。生まれて始めて、専門家から丹念に精神分析され、改めて自分という人間を知った。

医者は俄然、凛子という人間に興味を示した。精神分析のプロとして、更に深く、彼女の本質に迫りたかったようだ。彼は次回から、夢判断をしたい、と言い出した。私は夢など、特に見ない!覚えている顕著な夢など、全く見ない!と言ってお断りした。これだけ知れば、十分。彼女の病院通いは卒業した。しかし、この数年後に、神秘体験、光の体験をする。そして、それこそ、強烈で不可思議な夢を見続けた。まさか、そんなことになるとは、夢にも思わず、精神科医、鈴木先生との縁は、ここで、切れた!

精神科に通いながら、一方で教会へ行き出した。子供たちを成城学園の教会付属の小さな幼稚園に通わせていたので、教会は身近にあった。牧師もよく知っており、藁をもすがる思いで相談した。山田牧師は彼女の話を一通り聞くと静かに言った。「祈りなさい」と。思ってもみない答えだった。彼女は別のものを期待していたのに….. もっと具体的なアドバイスが欲しかったのに….。彼女は祈る祈り方も知らなかったのに….。しかし、素直に云われた通り、祈り始めた。子供に邪魔されぬよう、寝室に鍵をかけて、祈った。彼女は救いを求めた。主なる神に、人間を超越した神さまに、自分をさらけ出した。悩みを訴え、助けを求めた。祈りはいつも有効で、心を穏やかにさせた。2年のカウンセリングが終わる頃、祈りの中で、光明が差した!気付いたものがあった!それは、自我が強い。人の何倍も強い。しかし、理想的な自分に近づけない!それに対して、もう一人の屈したくない自分が、妥協できない自分がいて、それが、苦しめている!と気づいた。光明が射すとはこのことか…!
ありのままの自分を受容する、そのままでいい!と、言われた気がした。そんな大きな、神の愛に気が付いたとき、気持ちがふわーと楽になった。そこへ行き着くのに、2年近くかかった。ちょうどその頃に精神科医とのカウンセリングも終えた。そして、教会へ求道者として行き始めた。この時、彼女は30代後半だった。創造主なる神さまと、イエスさまは実父の死を通して、彼女を導いた、と思う。類い稀な両親の下に、命を誕生させ、養育させた。させたのは主なる神だった、と感じる。
これを契機に、自分探求に余念のない彼女は、自分という人間を良く知る人となる。普通、人は自分を見ずに、他人を見て批判する。凛子は逆だった。まず、己ありき!自分を見つめる事が大事だった。

院長夫人、凜子

凜子の嫁ぎ先は、新宿で知らない人はいない、名門と呼ばれる歯医者一家だった。義父は栃木県鹿沼市出身の庄屋の三男坊で、上京して歯医者となり、一代で財産を築いた人だった。彼は新宿で開業し、歌舞伎町にビルを建て、自社ビル4Fに本院を構え、国鉄(今のJR)の嘱託医として、東口新宿駅ビル(ルミネエスト)の6Fに分院を出した。医)社団輔仁会の創始者、医学博士の初代理事長は、ダンデイで、ちょっとはにかみ屋の、素敵な人だった。彼は経営者として、誰よりも働いたが、後半、老人性うつ病にかかり、再起不能となった。新宿分院は10年近く代診に任せっきり、息子二人は何ら手を打たず、のんびり本院にいた。妻として状況のまずさを夫に指摘した。彼は渋々、昭和63年の4月に、新宿分院へ出て行った。夫が新宿駅ビルへ出て、半年後に義父は亡くなった。それも相当な財産を残して… 。シビアな相続問題が発生した。歌舞伎町のビルが売却され、長男は他で開業し、新宿に出た次男の夫が、輔仁会に残った。翌年、平成元年4月に理事長を引き継くことになった。

誰よりも一番よく働くのが、経営者!とするなら、夫は失格だった。彼は、働かない経営者だった。夫の性格をよく知る妻は病院の行くすえを案じた。彼に経営者が務まるか否か不安だった。従業員が彼についていくかどうか、それは、彼がいかに働くかにかかっていた!たまに覗きに行けば、病院が荒れていた!ゴミはたまり、一目瞭然、見るからに上手くいってなかった。これはまずい!いくらなんでもマズイだろう!と思った彼女は、昭和63年の11月末に、小さい子供達を家に置いて、病院へ手伝いに行った!

3名の代診ドクターは高級で雇われ、衛生士や受付、助手スタッフ達が居た。この彼らが凛子を拒絶した。院長の奥さんなど、入って来てほしくなかった!ましてや、こんな人は、まっぴらご免だった。
始めは丁寧に、腰を低くし、状況を説明しようとしたが、何をしても反抗された。現場の険悪な空気は出来上がっていた。異様な雰囲気だった。I歯科が新宿駅の真上、新宿の一等地にあること事態が、彼らは気に入らない。なんとか追い出したい!と思っていたのだろう….! そこへ、やる気のある院長の奥さんが乗り込んで来たのだ。彼らにしたら、たまらなく、嫌な存在、目障りだったろう。

一方、病院の不穏な空気を、どうしたものか、従業員にどう対処すべきか、相談する人もいなかった彼女は、朝晩祈っていた。一人孤立した院長夫人は孤独だった。重圧に打ちのめされそうだった。重たい足取りで自宅と新宿を往復した。それでも気丈に医者やスタッフと向き合い、最善の解決策を模索した。オリンパスの叔父にも相談した。事態をかいつまんで話した。彼は意味深なことを言いながら、電話ではなんだから、オフィスにいらっしゃい!と、言った。アメリカのママにも国際電話で、何とか説明し、どうしたものかと相談した。歯科医院専門の経営コンサルタントもつけた。相談することは山ほどあった。凛子はコンサルタントのアドバイスを聞く以前に、彼女流の経営方針があった。

それを、いかに、いつ、どの状況下で、どのように、実行するかが、問題だった。昭和63年12月のクリニックの忘年会は史上最悪の雰囲気だった。従業員対経営者!彼らは要求ばかり。経営者を敵視する労働組合さながらの団結ぶりで、院長と院長夫人に、威圧的だった。こんな人たちが居るんだ…と初めて知った。社会の底辺を知る、世間の荒波に揉まれるとは、このことか…。夫は妻を庇うだけで、精一杯。何をどうしていいか、わからず、問題から逃げているようだった。凛子はお嬢さん育ちだが、彼らに屈するのが嫌だった!話も聞かず、不当に攻めてくる彼らが嫌だった。

光の体験(神秘体験)  平成元年 1988年 2.11

天皇様のお具合は悪いまま、年が明けた。昭和64年1月7日に昭和天皇が崩御され、平成が始まった。彼女は相変わらず、朝晩、祈っていた。和室に祭壇を作り、あらゆる存在に祈っていた。イエス様やお釈迦様はもちろん、天理教の神様、他界した父親たち、先祖へ、あらゆるものへ、手を合わせていた。対立ではなく、両者が歩み寄れる、最善の道を教えて欲しい!と願いながら、祈った。

同時に彼女は異常事態発生の裏には何かある!蓄積された不満もあるが、深刻な事態発生の背後に何かの組織が動いている!と感じていた!医)輔仁会I歯科の抱えるファミリーの複雑な事情を察し、不穏な状況に不安で一杯だった。それでもプライドと持ち前の性格で毅然としていた。そして、最悪の事態も予測していた。彼らは予定通りなのか1月末の給料日、女子従業員全員が職場を放棄し立ち去った。受付、衛生士、助手等、スタッフ全員は給料袋を受け取ると、医者を残して職場から消えた。何と無責任な!有りえないほど、卑怯な方法で、彼らは人生に消せない汚点を残した!
その日を境に、いたずら電話、嫌がらせ電話が、受付に鳴りだした。案の定だ。彼らの目的を理解しようとした。話はいつでも聴くから、貴方たちの言い分を聴くから、治療後に会うと言ったが無駄だった。彼らは凛子の前に二度と姿を見せなかった。スタッフの補助がない医療現場で、残った医者たちは黙々と治療した。一時の静寂が戻った。彼女は黙って全体を見ていた。俯瞰していた。

そして、その3週後に、人の人生でありえないほど、特別に特別なことが起きた!誰もしない、できない光体験をした!それは、選ばれた者だけがする、特殊な体験、神秘体験だった。凛子は辺り一面、光り輝く雲の上に居た。燦然と輝く光の彼方に、意思あるお方がおられ、言葉をかけられた。

それは慈悲と威厳に満ち満ちたお声だった。その荘厳さに圧倒された!畏敬の念でいっぱいになり、その場にひれ伏し、光の神を礼拝した!この体験は、忘れようもなく、強烈に脳裏に焼きついた。凍てつくような寒い夜、平成元年、(1988年)2月11日、午前1時過ぎに見た夢だった…! 夢から覚めた彼女は、畏れ多き出来事にブルブル震えていた。その意思あるお方が全ての基になり、凛子に書かせる!証をさせるのだった!それも、28年過ぎた今でも、啓示に従い行動させるのだった!

翌日は不思議な人々に出会った。電車に乗ると、目を真っ赤にした乗客たちが目に付いた。乗ってくる人達が、前夜泣いていたんだろうか、あゝこの方も悲しかったんだ!この人も、この人も… 出会う人が、赤い目をしていた。黙って、泣いている人さえ、いた。不思議な光景だった。

誠に不思議だ!神秘的存在とは!至高の霊は、絶対なる意志を持って、万物に君臨しているのだから! 人間が意識しようとしまいと、その存在はある!不思議な力を持って、人間社会に介入して来る! 創造主の意志には、逆らえない!抗えない!究極の体験をすることで、彼女の内面はさらに強められ、神の存在を全身全霊で受け止めた!凛子、その時、42歳。この年の復活祭に、クリスチャンの洗礼を復元イエスキリスト教会で受けた。それでも、神秘体験については、誰にも言わなかった。勇気がなく言えなかった。一介の求道者に過ぎないた自分が、神様の啓示を受けたなど、どうしていえようか…. ましてや、神様について、何ら知識のない自分が、何か出来るはずもない!光のお方が求めに応じてこんな自分に現れて下さった、それが、宝だった。この体験は誰にも言わず、10年秘めごとにした。

しかし、聖書を貪るように読む彼女に聖霊は働いた。泣けて、泣けて、仕方がない時もあった。キリスト・イエスは彼女の主となり、いつも、働いて下さった。怖いものはもうなかった! 経営者が首を切る前に、彼らが辞めたのは、スタッフに悩まされた彼女にとってむしろ幸いだった。その年の春に、人事を入れ替え、職場を改装し、必要最低限の改良を加えて、院長である夫にに医療現場を再び託した。そして、子育て半ばの彼女は家庭に戻り、何事も無かったように、英語の授業を再開し、平穏な日常に戻った。長女は中学1年、長男6年、二女は未だ小学3年だった。

経営者、凜子本領発揮

昭和63年11月から平成元年3月まで約5ヶ月間、新宿駅ビルの歯科に夫のサポート役で臨時に入った。現場は院長夫人の予期せぬ登院に面食らった様だが、3ヶ月後に緊急事態は治まり、駅ビルと契約も更新、夫に病院を託し再び家庭に戻った。しかし、医)輔仁会の2代目理事長、夫には新宿駅ビル内のクリニック経営は所詮無理だった。彼には代診やスタッフの長としてクリニックを引っ張る力がなかった。現場を仕切れない、仕事に対するストレスや経営経済の不安から 数年すると妻を責め始めた。彼女は男は外でお金を稼ぐ、仕事をする、それが、役目だと思っていたから、夫は彼女の男のイメージから程遠く、いずれ、時期が来たら、子供が大きくなったら、自分が出て行こう!と決めていた。

そして、あの神秘体験から、10年後、そのときがやって来た。1964年、昭和39年東京オリンピックの年に、日本初の駅ビルとして、竣工したそのビルも老朽化し全館改装。全テナントが一旦出る事になり、3か月の休業を強いられた。家主から賃料値上げはもちろん、新たに保証金、権利金も要求された。そこで、彼女は本格的にI歯科に入ることにした。医)輔仁会、初代理事長、義父の築いた石川歯科を、この手で引き継ごうと思った!2度目の石川歯科への参加だ!いざ、出陣!新宿石川歯科へ!経営者としての心構えは十分ある、やる気がある、人を引っ張る力もある、チャレンジ精神は人一倍で、無いのは経験だけ!この経営者は医療について何も知らない!ここから全てが始まった。知らないから出来た!知りたいから、どんどん、聞いた。周りは喜んで教えてくれた。どんなに、人に助けて貰えたか…。内装業者を選んだ。設計図面を一緒に検討した。チェア選びに、モリタ、吉田、タカラ、シーメンスと、ショールーム巡りも楽しかった。制服選び、材料選びに器具揃え、ドクターやスタッフの面接まで、すべてが、初めてのことばかり!I歯科を新しくやりかえる、創り上げて行く過程は、ワクワクした。楽しかった!ひたすら、前を向いて進んでいた!青春時代に、とことんやり通した、培った特別なものが、あった!ここで、再び、外の世界で、輝き始めたのかもしれない!水を得た魚のように、生き生きしていたのだろう。経営者は性分に合っていた。仕事が楽しくて、いろいろな、アイデイアも次々に浮かび、良いと思えば、どんどん実行した。この経営者は直感力に優れ、アイデイアで一杯!理想を追求するタイプで、立場をフルに生かし、即断即決した。彼女は人が好き。人を喜ばすのも好きだった。人間関係は得意分野だった故に、実に円滑に、無理なくことが進んで行った。医者は保守的、新しいやり方、環境や物事の変化を本能的に避ける人が多い。しかし、この素人経営者はクリニックにどんどん、新しいシステムを導入した。電子カルテ、パソコン、オンラインシステム、カウンセリング、今では当たり前だが、当時はまだ抵抗があった。予防に力を入れた!治療の前に、まず予防でしょ!先生、もっと、患者に説明して上げて下さい!いきなり、治療しないで下さい!反論もされたが、医者ともすこぶる関係が良かった。東京歯科卒、医科歯科卒、日大歯科卒、常時3名の代診がいた。スタッフも、素人経営者の味方だった!みんなに、事務長と呼んでもらった。彼らは、凛子の男性的要素に安心するのか、院長夫人とは決して見なかった。だから、なおさら、やり易かった。おおまかな性格で、怖いもの知らず、度胸も据わっていた。彼女は経営者の立場で何でもしてやろう!良いものは全て取り込もう!最高の医療サービスを新宿駅上で提供しよう! 新宿の名門歯医者、嫁ぎ先の、石川歯科の名誉を挽回しよう!と心密かに思っていた。

経営者としての基本は、患者さんを大切にする、従業員を大切にする、社会のニーズの一歩先を読む、サービス向上に努め、攻撃は最大の守備と心得ながら、決断&実行を繰り返した。彼女の持分は遺憾なく発揮された。本領発揮とはこのことか….! 宣伝もした!広告も進んで出した!新宿駅ビル内で、英語もサービスで教えた。事務長は新宿の街を大股でいつも足早に歩いていた。

月の患者数は増え続けた。新患、初診、再初診、毎月増えた。患者数が、一年で170件から300件へ!!マックスが170件、これ以上は行かないでしょう、と言われたが、その数を更新し続けた!つまり、売上を倍にした。医療ド素人の危うい女性が、やる気と情熱だけで、やってのけた。事務長は正直だった。知らないことは知りません、と云えた。周りはいつも助けてくれた。事務長は無防備で危うい人だと思われていたようだ。そのせいか、周りが手助けを惜しまず、いつも凜子を庇い、助けてくれた。院内の雰囲気はお蔭でとても良かった!従業員が経営者の立場でモノを言ったから逆だった!毎日は忙しかったが、やりがいがあり、職場は最高に楽しかった!

10年前の石川歯科、あの以前の険悪な雰囲気の職場と全く違っていた。従業員は友好的で全員親切、事務長、事務長、事務長ママ、とみんなから慕われた。女の子に事務長は経営者の鏡だ!とまで言われた。経営者が現場にいると、空気が変わる。適度な緊張感もあり、やる気が増す。みんなが仕事に精を出す。その雰囲気が良かった。現場の雰囲気が良ければ、会社全体が繁栄する!と思う。

烏山分院開設

新宿での一年は忙しかった!絶えず急ぎ足で動き回った一年だった。一年で売上を倍増するということは、そういうことだった。ママは忙しい!で殆ど、家族はほっとかれた。英語塾も一時中断させてもらった。末娘の高校の卒業式にかろうじて参加できたくらいだ。新宿のクリニックはしっかり目標を達成し、軌道に乗っていた。彼女は自分にはできる!と内心思っていた。そして、それが、短期間でできた!さらに自分に自信が持てた!安堵した!内部はもちろん、外部の人間も含めて、周りの目が変わって行った。あの女性はやる!と思ったようだ。新宿駅ビル上層部とも親しかった。医療は遣り甲斐があった!患者さんに信頼され、喜ばれることは歓びだった。人間好きのこの経営者は患者さんともよく話した。苦情係も務めた。医者に手あまりの患者さんは、凛子に回ってきた。新宿には様々な患者さんが見えた。新宿西口の一流企業の社長もいたが、ヤクザやホームレスのおばあさんまで来た。彼女に接すると、否応なしに凛子ペースに乗せられ、こちらのいうことを聞いてくれた。

高額な家賃を支払ったが新宿は患者数に対して手狭になった。20坪にチェアが4台、医者が2〜3人、スタッフ4名〜5名。これでは、治療ばかりで、予防を重視できない、審美もできない。十分なカウンセリングをするスペースも足りなかった。彼女の次なる目標は、予防と審美を重視したエステ風な医療空間を創る、になった。自由診療を中心に、専門医だけを集めた歯科医療を提供したい、になった。次なる夢を実現させようと、この発想を基に一年後に物件を探し始めた。知り合いのドクターが、初台にある竣工間近なオペラシティが、オフィスビルに入居する歯科医院を未だ募集しているはずだ、と教えてくれた。彼女は早速問い合わせた。選考委員会は最終審査も終えていたが、待って欲しいと頼み、オペラシティでの分院開業に向けて速攻動いた。会計事務所を動かし、ビジネスプランを作成、必要書類を揃え、駅ビルの推薦状を添えて、たった3日間で、立派な書類を提出した。審査委員会のおじさま方は、にわか経営者の素早い行動に驚かれたようだった。1ヶ月後に通知が来て、結果は不合格!凛子はそれでも、OKだった。やれるだけやった!という満足感はあった。何もせず見過ごすより、ずっといい!全てやったことが、次につながるからだ!その後、間もなく、地元烏山に物件を見つけた。新宿本院に次ぐI歯科分院を千歳烏山にオープンしたのが、平成8年11月1日、自分の誕生日に合わせて分院開業日とした。平成6年6月に新宿駅ビルに出て、1年10ヶ月後に造った烏山分院。50坪の広さ、会議室あり、モリタのスペースラインのチェア、特診室は極上チェア、医療は全て最新設備、障子をパーテーションに使った、和洋折衷の内装、従業員は全員衛生士、カウンセリングルームを設けて、患者さんに居心地のいい空間を提供、一見何処かのサロンに来たような、珪藻土の塗り壁の広い待合室、全て凜子流のクリニックだった。しかし、この分院で彼女は初っ端から苦労する。ドクター選び、いわゆる、人事で苦労させられた。彼女は夢を追いかけて分院開業に夢中だったが、その間、肝心の医者が決まらなかった。分院長を誰にするか、大問題だった…! 分院の顔は分院院長。彼女自身は経営者で責任者!裏の顔で、病院の顔ではない!ドクター選びで、かなり大勢の医者に会ったが、彼女の理想とする人はいなかった。ハード面では理想に近い病院を造ったが、分院長が開業直前まで決められず気を揉んだ。結局、初代院長は中年女性キラーの呼び名高い、40代後半のハンサムなドクターで折り合いをつけた。衛生士3名とドクターとカウンセラー兼経営者の5名で、分院は無事スタート!大嵐の日だった。高額で雇う院長、しっかり、お仕事してもらわねば….! 始めは和気あいあいで良かった。しかし、数年後に、経営上の問題で、ある事件が起こり、言った言わないのせめぎ合いが生じた。そのドクターは結局辞め、2代目に優等生的ドクターIが入ってきた。3代目は語学堪能ドクターU、4代目分院長は臨時経営代行者が連れて来たドクターだった。そして、最後、5代目分院長になるのが成長した息子だった。平成8年に開業し、平成20年で、閉院する迄の12年間、何の因果か、ドクターは変わりっぱなし。彼女が作ったのは上物だけ!中身は騒動ばかり理想通りではなかった!インプラントや矯正や審美、予防も誠心誠意、患者さんと接したが、彼女自身が満足し、納得して提供できる内容ではなかった!高級感あり過ぎで、地元に敬遠されたのか患者数は今一伸びず!新宿のようには行かなかった。しかし、経営者は泣き言などは言えないし、言いたくもない!仕事を黙々と続けた。連日、夜遅く帰宅した。何故、こんなこと始めたのかと悔やみ、一人泣きながら夜道を歩いたこともあった….。辛い時はいつも父親を思い出した。彼の苦労に比べれば、私のそれは大したことない!めげそうになると、決まって父親を思い出した。そうして気持ちを奮い立たせた。向こう見ずと言われようが、やりたくて、自分で始めたことだ!誰も責められない!夫は凜子に協力し、運転資金を出し続けてくれた!それで、何とか、閉院せず、持ちこたえた!今思えば、贅沢で有りえない額の資金投入で始めた石川歯科烏山分院だった。そして、有りえない程の分院長交代劇が繰り返された。それでも理想通り、予防と審美を貫いた!エステ風な医療空間を提供した。彼女自身が患者さんの相談に乗り、歯科カウンセラーを務めた。経営者を信頼し患者さんは安心して、自由診療を受けたようだ。確実に経営が軌道に乗ったのは10年後だった。10年かけて、軌道に乗せるとは、経営的に有りえないことだ。が、事実そうだった!!

怒涛のように 霊的体験が凜子を襲う… 1998年 

経営者凜子は新宿の本院と烏山分院を行ったり来たり。烏山の病院の会議室では英語の生徒達が凜子先生を待ち、新患の患者さんにはカウンセラーとなり、何か問題が生じれば、即駆り出され対応する。いつも、何かある、ことが不思議に次から次へ、起こるのだった。常に時間に追われ、仕事に追われ、揉めごとに対処した。30人も従業員がいれば、人の身勝手さ、ずるさ、汚さも、目に入る。人間だからいろいろある。信頼する人物も、頼る人もいなく、得意なはずの人間関係にも、嫌気がさしていた。夫は、夫で、経営者として、医者として、父親としても、彼女の目に不合格だった。プライベートでは結婚生活も、もう限界。彼流の現状維持は、もういくらなんでも、勘弁して欲しかった。花を愛でたり、読書したり、好きなことをする、友達と食事するなど、とんでもなく、ゆとりもない日々が、ずっと長く続いた。ストレスはたまる一方で吐き出し口がなかった。要するに日常にアップアップだった。

全て投げ出したい程、どん詰まりの気分だった。現実や現状を否定し嫌悪感さえ覚えた。そんな時、蓼科の別荘を思い出した。子供達が小さい頃、ファミリーで使った山荘が長野にあった。

彼女は都会の喧騒を避け、諸々のストレスを抱えたまま、逃げるように蓼科へ行った。そこは彼女のお気に入りの場所だった。ただ行くだけで、じっとそこにいるだけで、よかった。森の静寂、澄んだ空気、鳥の声、昔植えた小さな花、居心地のいい空間、蓼科の全てが彼女の疲れた心身を癒し始めた。青い空、美しい夕焼け、満天の星空、大自然の織りなす命の営み、彼女の求めるものが、そこにはあった。行くときは、いつもヘトヘト、数日滞在し帰路につく頃は、またパワーアップ!元気な彼女に戻っていた。充電していたんだと思う。瞑想状態だったのかもしれない….. 神様の懐にいたのだろう…。

1997年10月 ハーフの甥、ロビーの結婚式に参列するため、長女と渡米した。ニューヨーク州の陸軍士官学校ウェストポイントの卒業生の甥は、母校の教会で小児科医のペギーと式を挙げた。娘と私はWDCの郊外Vienna の姉宅に泊まっていた。夫婦間のことも、いろいろ考えた末、環境を変えて、夫ともう一度やり直そうと決めていた。その手始めとして、気分転換に自宅の模様替えを考えた。ある家具屋に寄った。そこで、彼女は最後の一点物、ワインレッドのソファを見つけた。すわり心地は良く、日本では見ない色だった。一晩寝ずに考え、それに合わせてチェアも購入し、諸々を日本へ送らせた。

その年の12月、クリスマスを挟んで、いつも通り、蓼科へ行った。数日滞在した。そこで、今後の自分を宣言するように、友人たちへ手紙を書いていた。何度も書き直しながら、やっと、書き終わった。渾身の力を入れて書き上げると、気持ちが晴れ晴れとし、内側からエネルギーが沸々と湧いて来るのを感じた。美しい夜空の星を見上げながら、長いトンネルから抜け出たような気分だった。嬉しくて叫びたい!ほどだった。その日の夜、大きな流れ星が、ゆっくり、弧を描くように、中央道を横切るのが見えた。この流れ星に感動した!天使がおめでとう!やっと、抜け出ましたね!終に、吹っ切れましたね!と言ってるように感じた。不思議だ… でも、事実それが 霊的体験への、合図だった。

1997年の締めくくり、クリニックの大掃除もスタッフと済ませた。気持ちも新たに、彼女は正月のおせち料理を用意し、家族の待つ下田のマンションへ、長女と向かった。途中出光でガソリンを満タンにし、瀬田のインターから東名高速へ入った。気分爽快、エネルギー全開、彼女はポルシェのアクセルを一挙に踏んだ。ぐんぐん、スピードを上げる愛車、シルバーメタリックのポルシェ。スピード感と緊張感を同時に味わう、フルパワーの凜子。140キロで走り出した。すると、突然、けたたましい、警笛が鳴り、警告灯が全部点灯、前が真っ赤!何が起きたのか、さっぱり、わからず、ただ悲鳴!

何、これ!彼女は半分パニック状態、それでも、サイドや後方を確認しながら、静かに路肩に止めた。下田にいる夫に即、電話。事情を説明するが、会話が噛み合わない。もう、じれったい!なんとしよう… .JAFに電話したがポルシェは牽引できない!と断られ、大晦日の夜、誰も来てはくれない。スピードを出さなければ、ゆっくり、走れば、なんとか、おとなしく、動く、とわかった彼女は、ハザードをつけ、ヒヤヒヤ、恐々、川崎の料金所で事情を説明し、長女に合図させながら、東京へ引き返した。

家族5人は下田と世田谷に別れて1998年の正月、元旦を迎えた。これがお印で、1998年は、怒涛の如き霊的体験をし続けた。正に始まりだった。

この年の正月は大雪だった。自宅前の私道に積もった雪を一人で掻き始めた。それも、公道へ繋げようと、周り近所の雪も、ひっくるめて、一緒に掻き始めた。息子が見るに見かねて助けに来た。

ポルシェはミツワのメカに出すが、原因不明で一向に分からない。夫が乗っても鳴らず、彼女が乗ると
警告灯は全て点灯する。説明のしようがなかったが、凛子には何となくわかった。あゝ、私だけネ…
私にパワーが有りすぎるのネ、そう受け止めた。後日、時計のコンピューターが誤作動したと判明。

1998年2月は長野オリンピックの年で、以前から、家族と開会式に参加しようと思っていた。相変わらずパワー全開の彼女は物事に周囲の出来事に過剰反応していて、自分でも収束がつかなった。

そこで、オリンピック見物は断念し、ミズーリー州にある教会本部を訪ねることにした。何とか、神様に近い人に(教会の長老)10年前の神秘体験も含めて、この事態を説明せねば!と思った。

機内では米人と話しまくり、フィリピン人の男性とも話しまくり、少しも大人しく座っていなかった。ジュデイフォスターのコンタクトが調度上映されていた。隣の米人に、あなたは、あの女優に似ている。そっくりだ!と言われた。宇宙と交信する科学者の主人公が、ジュデイフォスターだった。

飛行機は東へ向かう、空の色は、刻々と表情を変える。それは、美しく、万華鏡のようだった。創造主の描く、ダイナミックな天然絵に圧倒され、美しい!と感涙し何度も感嘆しながら、周りが寝静まっても、隣人と夢中で話し込む凛子。異様な乗客だったかもしれない… 。パイロットが見回りに来て、Is everything under control? 全て、順調か? とクルーに聞いていた。もちろん、OKです。とニッコリ、代わりに答える凛子。米国では教会の指導者、バッドシーヒーが彼女の到着を待ちわび、温かく迎え入れてくれた。話を聞き、特別な事態が発生したと察知したのか、彼は彼女に油を注いだ。

三日滞在し、帰りにサンフランシスコに寄り、離婚した元兄嫁と甥や姪に会った。亡くなった父が、さぞ、彼らを気にしているだろう、と思えたから代わりに訪ね、SFCで数日間を共にして帰国した。

東京では、尋常ではない、母の精神状態に手のつけようがなく、全員が大わらわ!何とかして、彼女を元どおり、鎮めようするが、全員失敗。誰も、母親のパワーに勝てず、お手上げ状態。息子もダメ!優しく、穏やかに近づいて来る、長女もダメ!末娘は、もう、パニック!ママは一体どうなったの… ママだって、わかりません!何で、こうなるのか、全くわかりません!

凛子は家族と自分の間に大変なギャップが生じた、と感じた。物事を捉える、観点視点が違っていた。彼女のエネルギーパワーは爆発した。波動も超高で天まで届いていたのかもしれない。地上に暮らす無神論者と天を見上げて暮らす者…これでは、互いに接点がない!自分を主張すれば、口論になる。凛子は親として強いから子供を抑え込む、それも嫌だった。仲良い家族は互いに笑いながらも、事実戸惑っていた。そこで、彼女はしばらく家族から遠ざかろう!と思った。一人で暮らそう!と決めた。引っ越し先は蓼科だった。家族は呆れてた。終に我が家も家庭崩壊だ!と息子が嘆いた。しかし、凛子にはそんなつもりは微塵もなく、距離を置きたかっただけ。夫とやり直そう!と思って気分転換に買った、ソファや家具一式も、蓼科の山荘へ送るよう手配した。業者を呼び、思い出の家具を残して、新旧家具を入れ替え、凛子の隠れ家として、快適な空間作り、インテリアをした。清掃業者も入れて、外は未だ寒い、3月に大掃除をした。

そして、終に彼女は蓼科に引っ越した。茅野市では6年に一度の御柱の年だった。

1998年3月下旬、自分に属するモノ、何から何まで車に積み込んで世田谷の家を出た。雪で埋もれた森の夜道を、荷物を満載したノーマルタイヤのワゴン車は、ゆっくり、ゆっくり、確実に進んだ。もう、誰も彼女を止めることは出来なかった。周りの心配をよそに、東京と山の生活を使い分けた。仕事もそのまま続け、二軒の家を管理するにも、倍のエネルギーを必要としたが、平気だった。全く問題なかった。子供達は母親が帰ってくるので、食事も作れば、職場へも行くので、ホッとしたかもしれない。彼女が一時的にでも、家を出ることで、みんなが落ち着いて生活できた。平穏が戻った。

蓼科では家族の写真を先ず飾った。それも、大量に!こちらでは別荘客ではなくなり、地元の人と親しくなった。友人も進んで作った。修道院がそばにあり、シスター達ともお付き合い。理想的な環境が与えられ、主に感謝した。鳥が部屋に舞い込んできた。うずらの家族がよちよち道を横切った。鹿が遊びに来た。カモシカが来た。リスは年中。森の生活は快適だった。自然を愛で、小さな虫まで観察、小さな命にも感動した。森の静寂と都会の生活は、完全完璧に彼女の中で両立した。彼女の性に最高に合っていた。エネルギーはここで微調整され、バランスよく周囲と和した。ダイアナ元皇太子妃追悼アルバム、ダイアナ・トリビュートをいつも聞いていた。彼女が大好きだった…から!

霊的体験の数々と言えば、蓼科でも始まった。ある土砂降りの雨の夜だった。子猫の鳴き声がした。助けに行こうと外へ出た、しかしいない、見つからない、また部屋に戻る、また、か細い声で鳴く。
この土砂降りの雨で死んでしまう!と思いまた、出る、しかし、居ない。3回も繰り返して、今出てこなければ、もう、助けに行かない!と宣言。それで、ピタ!と泣き止んだ。翌日、恐る恐る、草むらを探したが、子猫はいなかった。昔、20数年前に、やはり、土砂降りの雨の翌日、幼気な生まれたての猫が、蓼科の庭先で死んでいた。その猫ちゃんを、埋葬したことがあった。それ自体も不思議。猫が別荘地をうろつくことはない。ましてや、土砂降りの雨の夜に、子猫など、ありえない話だ。

凛子が乗ると、誰かが、ノックする。ポルシェの後部を、ノックする。誰かわからない。でも、決まってノックされた。あゝ、あなたも私に合図しているのネ!霊界があることを知らせているのネ。

人が話すことを事前に読んだ。テレビでアナウンサーが話す内容をこの人はこれを話す、というと、その通り話した。家族に何でわかるの?と、聞かれたが、何となく、わかった。電話にしても然り、これは、誰それからの電話よ、というと、いつも当たっていた。不思議だった。

喜怒哀楽の感情が更に敏感になった。美に関して、特に反応した。神様の愛に触れると、泣けて、泣けてしようがなかった。ただの物語でも、深く感じ取るのだろう、感動した。ママはいつも、すぐ、泣く。早泣き大会に出たら、絶対優勝だよ!と息子に言われた。涙腺が緩みっぱなし!なのだ。怒りもあった。社会に対する怒り、無知、無関心、傲慢、仁義の無さ、色々に怒りを覚えた。駐禁で捕まれば、中年の婦警の態度が悪いと大説教を始めた、若い婦警は楽しそうにクスクス笑い、精神科の女医の患者に対する態度が高慢!とまた激怒。楽しい時は高らかに笑った。お腹を抱えて笑っていた。思い出し笑いもしょっちゅうだった。機関銃のように話した。その機関銃トークはやめてくれ、と子供に言われたが、独り言もよく言った。一人で呟く。何故、何故、なぜ私…と 始終、聞いては、自答していた。

彼女はこの年から、神さまについて、人前で話すようになった。教会では証しをした。彼女の講話はいつも長く、時間オーバーばかり。会衆は目をパチクリしながら、熱心に聞いていた。英語の生徒にも話した。授業の前に、神さまについて、天地創造から、神の愛まで、英語で話した。彼らも凛子先生の信じる神さまが好きだった。蓼科では、音楽会を始めた。友人のバンドを呼び、オペラ歌手を呼び、ピアニストも呼んだ。洋楽から邦楽まで、人を招いて会費を頂き、チャリティー活動を始めた。ここでも、神さまについて、聖書とは、至高の霊とは、イエスキリストの愛とは、思い浮かぶままに証しをした。

10年前の凛子とは別人だった。彼女は聖書も良く知る人となり、霊的にも成長していた。彼女の信仰心は半端ではなかった。主が彼女を遣っている、彼女は守られている、と確信もすれば自信もあった。それほど、この霊的体験は凄まじかった。彼女の中で、神さまが一番大事、まず、第一だった。

そして、啓示を受けた者として、責任持って、主の存在を皆さんに、お伝えしよう!と思った。
この年からだった、聖書だけではなく、他の宗教書も読むようになったのは… 教義、教理は違っても、彼女の中で神は一つ、神の愛は一つだった。何も、混同することもなく、魂が戸惑うこともなかった。

分院閉院

新宿本院と地元烏山の分院を女手一つで引っ張った!40歳過ぎてから60代前半まで、20年間ファミリービジネスの歯科医院、その病院経営に関わった。この間、ドクターやスタッフ合わせて28名前後、高給取りの彼らに給料を遅延なく支払た。50年続いた新宿駅ビル石川歯科と、烏山分院を夫と守り続けた。借金も返済リースも完済、人事も落ち着き、患者さんに認知され、信頼された病院として、これから…という時、長女に言われた。「ママ、病院を一軒にして!一つ閉めて!」

いきなり、何を言う、この娘は。と我が耳を疑った。我が家はデンティスト一家だった。息子も末娘も歯医者となり、家族がクリニックで働いていた。休みも家族一緒にとれず、みんなで過ごす時間もない!これが、閉めて!の理由だった。やっと、楽になる!と思ったら、次は、娘からのお願い。これとて、無視できなかった。神秘体験をした凛子!!苦労した分院が、終に、軌道に乗った!と思ったら、再び霊的体験をした!それも強烈に!私の役目は何だろう、と思わざる終えなかった。

一年間悩みぬいた!悠々自適に暮らせるはずだった!優雅に、そう、暮らしたかった。できる環境にあった…! 条件は全て、整っていた…。しかし、閉めることにした。病院経営は凜子本来の仕事ではないと思えた。彼女の世界観、価値観、宗教思想哲学は、人類と共有すべき、と天が教えているように思えた。他に凜子らしいことをせよ!と天が無言で云っているように感じた。
霊的体験がそう感じさせ、主の御心に反応した!周りには、凜子の気持ちなど、わかるはずもなく、深く理由を説明する気もなれず、娘の要望通り、閉院することに決めた。

そう決断したのは本人だが、そのように、決断させたのは、神さまだった!主の壮大なご計画の一部に凜子が果たす役割がある!と思えた。それが、何か分からずとも、時が来れば、主が教える!主の霊が導くだろう!と思え、神の御手に自分を委ねた。

聖書を良く知る者として、主人に忠実だった!烏山分院開業から12年経っていた。彼女は夫の諭しも会計事務所や周囲の反対にも耳を貸さず、潔く閉めた! 凜子英語塾と石川歯科分院、拘りの看板を静かに下ろした!凛子、その時、60代前半だった。

凜子には、何かもっと特別に大事な仕事がある、待ってるような気がした。それは、人々の霊性や感性や人間力に訴えることで、この世界を救うか、変えることだろう。アートや文化文明技術を通して、国の真の歴史と共に、和の心を内外に広めるのは、今の時代に、日本人で生まれた理由だろう。独特の個性と感性と人脈で、物事や社会を理想のカタチへ動かす!最終的な仕事はそれ!と思えた。青春時代に遡り、凜子が探し続けた道は、生涯歩むべきは、魂の喜ぶ道だろう

人々や社会全体に、己を献身し貢献することは、彼女の魂の最終目的で究極の仕事だ!
医療人でもない凛子が関わった医療は、そのプロセスに過ぎなかった!と思えた。

そこで、8年前に医療現場を退き、先ずは、支援活動をしよう!とNPOへと、動き出した。
彼女は医療経営から、NPO活動へと、軸足を移したのは、平成20年7月の事だった。

因みに新宿ステーションビルはその後マイシティ、2005年からはルミネエストへとリブランド。新たな商業施設展開を目指し、新旧テナントの入れ替えを始めた。その流れを受け、医院も2011年12月、現在の仙川の地に移転をした。幸いにも駅から近く、予防歯科に力を入れるための広い診療面積を確保できるスペースも得ることができ、初代からの志である「地域密着の歯科診療」が、新たな土地で進化しながら受け継がれた。

そして2017年5月からは三代目となる、石川創一院長(凜子の息子)が理事長に就任。小川百合子(凜子の娘)副院長とと もに兄妹で、一般歯科と専門性をあわせ持つ未来志向のクリニックをめざしている。また当 院の3世代にわたる家系はすべて日本歯科大学の卒業生。

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2016/02/20 車戸凛子 2017年5月5日 蓼科にて加筆修正

超スーパーDNAが世界を救う、エフライムへの祝福、日出ずる国、聖書預言、14万4千人

超スーパーDNAが世界を救う。

ここまで、読み進めて下さった読者は、凛子は今度は一体全体何を言い出す、と思われたかもしれません。しかし、彼女は根拠のないことは一切申し上げておりません。超スーパーDNAの持ち主は多分アナタだからです。日本人男性の40%が持つY染色体「D系統」のDNA。「D系統」の遺伝子は世界でも非常に珍しく、それが超スーパーDNAですよ!と申し上げております。

その根拠は聖書です。聖書の神様がエフライムへ与えた祝福が超スーパー。エフライムとは、アブラハムの直系、イサク、ヤコブ、ヨセフの第二子であり、エフライムは北イスラエルの指導者です。イスラエルと改名したヤコブが特に可愛がった愛するラケルとの子がヨセフで、ヨセフの子がエフライムです。ヨセフからエフライムに与えた神様の祝福が他を圧倒しています。そのエフライムの末裔達、世で言う「失われた10支族」が、集団で何度も何度も、日本列島に上陸しました。

預言された日出ずる国で、先ず、彼らは神の社を建て、神を祀り、神に感謝しました。それが、神道国家、日本です。歴史の教科書では、決して教えない史実ですが、私たちは自国の真の歴史を学ぶ必要があります。創造主なる神様が、預言者たちに預言させた日出ずる国、東の島々…エフライムに与えた祝福の数々、終末に集まるイスラエルの10支族たち、14万4千人…

聖書には様々に記載されています。神様の愛を知らないのは、忘れているのは、今の日本人です。聖書に戻り、ご自分の底力に気づいて下さい。ご自分の持つ超スーパーDNAと、神さまの愛に目覚めて下さい。私たち、日本人は祝福されているのですから….! あなたが聖書を知り、キリスト・イエスを知り、神の愛に目覚めれば、アナタは益々、主に愛され、守られるでしょう。

欧米列強は個人主義に徹底しています。所謂、弱肉強食です。勝った者勝ちで、それが正義です。しかし、日本人は違います。縄文時代から綿々と続く日本列島に住む民族は違うのです。戦争のない時代が縄文でした、縄文人は宇宙人の如くです。やはり、超スーパーDNAなのです。日本は多民族国家でしたから日本人の祖先は縄文人でもあります。煮炊きをし味覚を持った縄文人が生活を楽しんで暮らしていたのです。彼らの造った芸術的土器をみてください。正に、現代アートです。国宝の縄文ビーナス、仮面の女神然り。縄文は非文明の時代ではなく、神様を想像し、神と共に生き、平和に自由に秩序ある集落を作り、戦争の無い、のどかな共同体で暮らしていました。

好むと好まざると、世界は預言通りに進んでいます。世界情勢は刻々と変化しますが、やはり預言通りです。聖書は神の霊感により書かされた聖なる書物ですから、宇宙の創造主の意志が反映されています。日本は報道機関の情報が操作され、この情報化社会にあって、真実が報道されず、日本人は蚊帳の外に居るようです。今の日本人は己の平穏無事、家内安全を祈るばかり。

戦後70年、明治維新から140年も経ちましたが、今の日本人は生きる目的、何故生きるか、何のために生きるか、如何に生きるか等、真剣に考える人が非常に少ないです。志しを持たないため、人が本来持つ強さがありません。現代人はイージーへ流れ、目先の利益を追い、短期的な目標で生きています。明治の人間が持った気骨ある精神を失ったと思います。
天を見上げながら生きる、信じて生きる。自分に正直に生きる。他を生かして生きる。何を目標にして生きるのか、目標がはっきりしないのです。つまり、霊的スピリットが死んでいるのです。

人はパンのみに生きるにあらず、神と共にあります。霊的に生きてこそ、活き活きと生きられます。志しを持つ凛子は、現状に満足しません。彼女も神の霊感により、焚き付けられました。
凛子の半生を読むあなたは如何ですか?彼女に触発されませんか? 
今の日本は、どこか、おかしいと思いませんか?

さて、ヤコブによる、ヨセフ、エフライムへの祝福です。

ヤコブはその子らを呼んで言った。「集りなさい。後の日に、あなたがたの上に起こることを、告げましょう。」「ヨセフ(マナセとエフライムの父)は実を結ぶ若木、泉のほとりの実を結ぶ若木。その枝は、かきねを越えるであろう。射るものは彼を激しく攻め、彼を射、彼をいたく悩ました。しかし、彼の弓はなお強く、彼の腕はすばやい。これはヤコブの全能者の手により、イスラエルの岩なる牧者により、あなたを助ける父の神により、上なる天の祝福、下に横たわる淵の祝福、乳房と胎の祝福をもって、あなたを恵まれる全能者による。あなたの父の祝福は、私の親たちの祝福にまさり、永遠の丘のきわみにまで及ぶ。これらがヨセフのかしらの上にあり、その兄弟たちから選び出された者の頭上にあるように。」(創世記49章22節〜26節)

私たちは、ユダヤ人が非常に優れていることを知っています。彼らはあらゆる分野で活躍しています。しかし、ユダより多くの祝福を受けたのが、ヨセフです。そのヨセフの子、エフライムが北イスラエルの指導者となり我が国を建国しました。神の祝福は永遠に続いていますが、大多数の日本人が、人類にユダヤ人より多くの祝福を得ている、祝福の血筋を頂いている…..!世界を救う超スーパーDNAが自分たちであることに…. 全く気づいていません。未だ、目覚めていないのです!

しかし、それも時間の問題です!神さまは、主の霊で、私たちを目覚めさせるからです。
そして、終末の時代に、14万4千人という主の愛に目覚めた汚れのない人達が集まります。

そして、ユダとエフライムはイスラエルの一本の木となり、世界を平和と繁栄へ導きます。
エゼキエル37章、枯れた骨への預言に、克明に記されています。始めからお読みください。

「見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる。」
(エゼキエル37章19節)

蓼科にて、2017年5月6日 車戸凛子

5章 NPO飛躍28


NPO飛躍28設立 チャリティー 杉原千畝 宗教音楽の交流 封印された民族の歴史
(聖徳太子について、寄稿文)(イエスの求める武士道、寄稿文) 3.11東日本大震災 

NPO飛躍28設立 (2008年〜2012年)

霊的体験の数々は 否が応でも10年前の神秘体験を思い起こさせた。創造主に創造目的があり、目的を敢行する意志がおありならば、それは予測できたことだった。主の有無を言わせぬ、無言の意思、霊的体験があまりに強烈だったので、抗えない、もう逃げられない、と観念した凛子は、神さまに仕えると決意し、烏山のクリニックを閉院した。時代も背景も違うが、まるで、ヨナ書の預言者ヨナの如くだった。12年続けた烏山クリニックを二束三文で売り、潔く閉めたのだから。

しかし、閉めたものの何をすれば良いのか皆目見当もつかなかった。英語教育に30年、歯科医療に20年近く没頭したがそれ以外何も知らなかった凛子。何れも いつも理想があって、それを追い求めた。試行錯誤しながらも 結局 我流があって、走り続けた凛子。神さまに仕える、と言っても、広大で膨大すぎて、それ事態が雲を掴むような話で牧師になりたい、宣教活動をしたいわけではなかった。ましてや、人を率いてなんとか宗教の教祖になるなど、とんでもないことだった。凛子の経験、体験は比肩しようがなく、凛子自身は独特な思考と感性の持ち主だった。なので、それを何とか神さまの御用に使っていただこうというだけの話なのだ。

霊的体験の渦中にあった時、彼女は手当たり次第に宗教書、哲学書、啓蒙書を読み漁った。宗教とは一体なんぞや?単純な疑問だった。神秘体験を経験した凛子にとって、聖書を知る人となったが、宗教そのものは知らなかった。滋賀県に在る多賀大社の神官を代々務めた家系に生まれたが、当たり前すぎて神社を知らない、神道とは何か考えたこともない!仏教にも関心が及んだがその起源すら知らない。あれもこれも読み漁ると、空海、弘法大師が凄い人だったと知るに至り、すっかり、高野山ファンにはなった。

若い頃、インド航空のファストクラスにダライ・ラマ猊下をお迎えしたこともあった。それも、ダライ・ラマ猊下の手記を後年読めば、チベットからヒマラヤ越え、インドへ亡命されたが、亡命後の初フライトが、なんと、凛子の飛んだ便だった。日本の仏教界が猊下を日本へご招待したそうだ。猊下のお顔をごく間近で拝顔した。猊下一行の中でも際立つ特別なオーラを放っておられ、すぐこのお方だとわかった。にこやかに笑っておられた微笑みが印象的で、とても柔和なお方だった。普通なら間近に見れないこの方との出会い、こんな場面を創生した創造主の意図は何だったのだろうか…ここから、何が始まるのだろうか…?

NPOを始動する。利益を求めない非営利活動。
しかし、何をする?何を、どうやって?誰とする?神様に仕えるって、何かしら?
あまりに広範囲で、深淵すぎて、とりとめもなく、見当もつかなかった。
よって、凛子は自分の見たもの、感じたもの、己自身と神様を信じて突き進むしかなかった。

 
チャリティー

とりあえず、チャリティーから始めよう!音楽が好きなんだから…音楽家をサポートしながらチャリティー活動を始めよう!と決めた。凛子はどこか飛んでる人間、飛躍した女性!数字の28は創造主の業と力を現す数字だ!人間界と自然界と地球、太陽や月や天体、小宇宙と大宇宙、28はミクロとマクロの世界を繋げ、女性の生理を28とし、お肌の周期も28、月の満ち欠け28、28は完全数7の4倍、天体は28宿に分かれ、広大な宇宙へと広がる。なので、NPOの名称を飛躍28と名付け、みんなが神さまの処まで飛躍できますように!と願い込めて命名した。

さてさて、右も左も分かりません。みなさんが何をしているのか全く知りません。好奇心いっぱいの凛子は、直感に従って行動し、気の向くまま、見聞と人脈を広げた。歯科医療の狭い世界から抜け出た凛子は、教育ママたちの羨望も浴びながら、自由に気の赴くまま行動し、外部の人間がすることを観察した。烏山のクリニックは閉めたが、新宿のクリニックは健在だった。しかし、足が向かなくなった。医療経営は合格点で卒業したナと勝手に自分を評価していた。

若い頃の凛子には忍耐という言葉さえ存在しなかった。父親に溺愛され、やれば何でもできる、欲しいものは何でも手に入ると思い込むほど、好き勝手をしてきた。それが 結婚後 いつの日か我慢強くなった。忍耐することを覚えたのだ。結婚後の凛子は自分を優先してこなかった。いつも、家族が、子供達が、生徒が、クリニックが、患者さんが、優先だった。自分のための時間もほとんどなく、日々仕事に追われていた。そんな毎日を30年続けてきた凛子が、NPOに向けて走り出したのだった。

杉原千畝

ある日、突然 友人に北海道へ誘われた。おかしな団体が札幌で何やらイベントをしていた。こんな所へ来るんじゃなかった…と後悔し始めたが、さにあらず!だった。

同じく、大した理由もなく、何となく参加したという俳優、水澤心吾とそこで知り合った。聞けば、彼は、杉原千畝に感動し、彼の物語を一人芝居で全国講演している、と言った。外交官で赴任したリトアニアで、助けを求めるユダヤ人たちにビザを発行し続けた、あの杉原千畝だ!凛子は杉原千畝さんの一人芝居なら大した費用もかけず外国でもやれる!と即思った。そんなことも頭に入れながら、彼女は先ず東京で彼の芝居を見た。感想は、GOOD!良かった!感動して泣く方もいらっしゃるとか….。人の心に訴えるものがある。俳優自身も芝居にのめり込んでいた。凛子はNPOでこの芝居を上演します、と言って内金を支払い彼と契約した。杉並公会堂の小ホールで、杉原千畝さんを演じていただいた。その後、しばらく経って、「この芝居が反響を呼んでいる。企業からもオファーが来るようになった。社員研修に講師を招くよりこれを見せたい!とある企業の幹部に言われて今度その会社へ行くんだ!」と知らせて来た。そこで、凛子、「あら、いいじゃない!企業ってどこへ行くの?」それがオリンパス!だった。オリンパスなら良く知っている!叔父が大貢献した会社だから!よく知っている。私も行くわ!連れて行っ!…そして、行ったのが、オリンパスの八王子工場、昔、叔父が好んで出入りしていた工場だ!北村茂夫(オリンパス名誉会長)の姪が来ると事前に知らされてあり、芝居終了後、役員の柳沢氏に紹介された。柳沢さんは、大変懐かしがられ、北村社長には大変世話になった。

私がオリンパスに入社したその年に、北村さんが社長に就任され、新卒の私の提案に二つ返事で即予算をつけてくれたんです、と言われた。東北大の理工学部出身の柳沢氏は半導体の企画書を出され、叔父が新卒の彼に、二つ返事でOKを出したそうだ!叔父なら、やるだろう!と思った。彼は、企業にとって、営業より技術開発が如何に大切か、痛切に感じていた人だから!オリンパスを今のオリンパスにしたのは、技術者の開発した胃カメラが始まりで、北村茂夫はそれを世界へ売り込みに行っただけ!
ただ、彼にはオリンパスを世界のオリンパスにするという、強い決意と熱い情熱があった!
それを裏付けたのは、世界一の技術と誇りと自信だった!

山荘では定期的に音楽会を開いた。それまで、いわゆる別荘族で 地元と関わりなく過ごした凛子が、短期間であっというまに、地元と関わりを持ち始めた。修道院のシスターたち、真言密教のお寺さんとも親しく交わり、蓼科の山荘は音楽会場となり、友人たちの社交の場となった。

個人的に始めたチャリティー活動も、NPO飛躍28のスタートに伴い、都内でも音楽会をするようになった。アインシュタインのバイオリンを持つ韓国人のジョンチャヌ氏のコンサートを主催したこともあれば、ロシア正教のオーソドックスを指揮する折田真樹の音楽活動も支援していた。

東西宗教音楽交流でグルジア共和国へ

当時の凛子は音楽三昧だった。彼女らしく宗教音楽の合唱団に加わった。真言密教の讃祷歌合唱団とロシア正教のオーソドックス、これら二つの異なる合唱団に入り、神仏を賛美し歌っていた。自宅も練習場に解放した。宗教音楽が好きで仏教の声明まで関心を持ち、真言密教の高野山声明と特に親しくなった。そして、いつか、東西宗教音楽の交流を凛子のNPO主催で海外で実現させようと、強く思っていた。

ところで、何故、宗教音楽かといえば、事の始まりは単純な発想からだった。凛子の開く山荘音楽会に、真言密教のお寺さんを招きたい!と思った。凛子のお大師様好き!は数年前からで、真言密教は素晴らしい!と単純に感じ入っていた!そこで、電話帳で調べるがわからず、オペレーターに問い合わせた。茅野市の真言密教のお寺を教えて欲しい、すると、茅野市には寺が20以上あり、どれが真言密教か分からない、と言われた。あゝそうですか、ではどこでも良いですよ。玉川長円寺でいいですか?ええ、良いですよ。そして、掛けた。もしもし、ハイ、もしもし。明るい澄んだ声が返って来た。そこが、いきなり、真言密教の寺だった。事情をかいつまんで話し、お寺へ飛んで行った。そこは、珍しいほど活動的なお寺さんだった。お大黒さんが陽気で大変活発なので、ご住職も彼女に合わせるお上手さ、で二人は息のあった漫才名コンのようだった。そこから、このお寺さんの率いる、讃祷歌合唱団に勧誘され、見学させて頂き、入った!讃祷歌は讃美歌のようなメロデイと心に響く優しい歌詞で、歌い易く、何ら違和感がなかった。入ってみると、指導者が素晴らしく吉岡先生は、東京藝大の指揮科卒、編曲作曲、自在にこなし、ご自分はピアノ伴奏しながら、どんな音も聞き分け、ご自身の音域はバリトンからソプラノまで見事に歌ってみせる。そして、ソリストたちの中に折田真樹氏がいた。彼にロシア正教のオーソドックスにも勧誘され、いいですよ、と承諾し、その後、凛子の自宅はオーソドックスの練習場になった。そんな流れだ。

この合唱団と行ったのがグルジア共和国のトビリシ。合唱団に入って、1年後にいきなり、降って湧いたような話しで、グルジア文化祭を盛り上げるために、東西宗教音楽交流を企画したのが、ICU卒の青木弓夫氏だった。当然、ICU卒で結成するーーー合唱団も参加、総出で80名の参加者の一人が凛子だった。トビリシのオペラ劇場で歌った。ともに国歌斉唱した。君が代の歌詞に心も洗われ、ラストで歌った般若心経の大合唱は大感動だった。この感動を凛子はアメリカで必ずやりたいと内心思った。経験からヒントを得て過去の人脈を使い我流に企画する。

将来結成する合唱団の名称まで決めてある。クリスタル合唱団!2017年結成予定… きっと、神さまがさせて下さるので、凛子はできるだろう…と思う。そして、米国へ持って行くだろう。行くところも決めてある。西海岸はスタンフォード大学、東海岸はWDCとニューヨークで、米国では現地の合唱団と交流する予定だ。
2020年、東京でオリンピックの開催する年に米国行きを決めている。

封印された民族の歴史

NPO飛躍28は音楽を通してチャリティー活動をし続け2年が過ぎた。その間も、日本はどこか違う、何かが違う、不思議な国だと思いながらも、孤軍奮闘しチャリティーに一生懸命だった。

神秘的な日本、不思議な国、日本、この国の真実とその先が知りたい、自分の役割は何、内側に疑問を多く抱えていたそんな折、米国籍の青年アンディー(凛子の生徒の英会話教師)が、あなたに引き合わせたいイギリス人女性がいる。非常に活発で冒険を恐れずあなたに良く似ている。二人はきっと気が合う、と言われて、逢ったのが、スージーホームズ。確かに二人に共通項はいっぱいあった。聖書をよく知るスージーは、キリスト教会という教会組織や宗教に束縛されず、神とイエス・キリストを信じる!という点で二人は全く同じ!だった。二人は宗教から解放された自由人で共に神さまに熱心で行動的だった。

凛子は内側に抱えた疑問をスージにぶつけた。創造主は唯一神でありながら、かくも宗教宗派がいっぱいあるのか、何故 世界はかくも分断されているのだろうか、本ではいろいろ読むが、日本神道と神話と聖書の関わりがもっと知りたい、日本があまりに不思議な国だから、自分の不思議体験にも意味があると思えるし、真相が知りたい,,,,すると、スージーは神戸のジョッシュに紹介したい、彼があなたの疑問に答える人たちを知っているはず、と言った。

凛子はクリスチャンだが、他のクリスチャンや教会の人たちと交わることを好まず、一人だった。彼女は自分がクリスチャンでありながら、クリスチャンの人たちが苦手だった。教会にはスピリットがない聖霊が働いていないと感じていた。アメリカの教会本部は建前でいいこと一杯いいながら凛子の平和活動に協力的ではないと感じたし、アメリカの指示を仰がなければ何事も決定できない日本の教会にも失望し、凛子は洗礼を受けた教会をとっくに離れていた。しかし、スージーもジョッシュも、マイケルもジェイムスも、違っていた。この宣教師グループは聖書をよく勉強し、世界中を旅し、日本に落ち着いた多彩な人たちなので、自由で世界観が広く、親しく付き合うようになった。

そして、神戸のジョッシュだが、東京でスージーと3人で会った。凛子は日本って不思議な国、私も不可思議な体験しているし、家は神社なのに、私はクリスチャンだし、聖書には日本のことがいっぱい書いてあるのに、日本人は知らん顔で、何も知らないし、宗教って何だろう、神様はいらっしゃるのに、神様といえば宗教と結びつけ人は嫌悪するし、本当は違うのに、これじゃあ救われない、終末は近づいているのに、私は中途半端にしか知らないし、どうしたらいいだろう….

日頃の憂いを話していた。ジョッシュは凛子の疑問に応えられる、ぴったりの人たちに紹介できる。明日、中野ホールに来てくれ!と言った。そして、翌日、言われた通り、中野ホールへ行き、クリスチャンの世界大会に参加した。そこで、神戸のビジネスマン杣さん、伊勢志摩に住む畠田牧師、聖書研究家の久保有正氏に紹介された。全員、最前線で日本文化と聖書を研究している人たちだ。保守的で閉鎖された日本のキリスト教会の中で最も勇気ある行動をとっている人たちが、この3名だと思う。凛子はそれまで、様々な本を読んでいたことで、彼らの話を理解するに十分な知識はあった。我が意を得たり、とそうだ、そうだ、と頷くことばかりだった。彼らこそ、凛子の求めていた団体だった。

聖書と日本フォーラム。日本の未来を切り開こうと、日本人の死んだ魂を甦らそうと、畠田秀生牧師が会長となり、会員には全国各地の宣教師や牧師たちがいた。凛子は会員になります、というと、理事にもなって欲しい、と即日頼まれ、理事の一人となった。

ここから、凛子のお勉強は再び始まった。彼らと行動を共にさせてもらった。特に聖書とゆかりのある古い神社を巡った。神宮、神社、古刹巡りはいつも神聖な気持ちにさせられ、新鮮で、どれも興味深かった。京都は天橋立の籠神社(元伊勢)、伊勢神宮、長野の諏訪大社、大分県の宇佐八幡宮、和歌山の大神神社や空海の高野山等へ参拝した。

失われた十支族の行方を追う、ユダ族のアミシャブ一行にも紹介され、彼らが来日した時は、籠神社や神戸へ同行した。凛子はこの団体で多くを学んだ。聖書に基づき解説され、現地に足を運び、この目で見たことは大きかった。説得力がある。確信を持って、人々に伝えて差し上げられる。いかに広報していくかは、凛子の腕次第、人脈とその機会は天の神様が与えてくださる、と確信している。彼女は何事にもたじろがない、人の思惑など一切気にしない、自分の信じるもの、信念を貫き通せる女性だ。

日本列島にはもちろん縄文人もいましたが、因みに、古代日本人は、渡来人で彼らは失われた十支族です。指導者エフライム族を中心とする北イスラエルの人たちが、日本の国を建国しました!という内容の数分ビデオをNPOで数年前に作った。未公開で誰にも見せてこなかったこのビデオ、しかし、今年、YOUtubeで公開する予定。ぜひ、ライジングクラウドで検索しご覧ください。また、以前書いた「日本人はエフライム」をここに加えます。こちらもお読みください。

エフライムについて(2013年6月18日 NPOライジングクラウド 代表理事)

聖書によればアブラハムの子孫がやがて砂浜の砂のように空の☆のように子孫を増やし祝福を得ると聖書を書かせた神さまは約束されました。

アブラハムの祝福を息子のイサクがいただき、次にヤコブがイサクから受け継ぎます。ヤコブの12人の息子がイスラエルの12氏族となり、イスラエル王国を築きました。イスラエル王国は、油を注がれたサウル王に始まり、ダビデ王は栄誉を手にし、ソロモン王はとんでもない繁栄を手にします、しかし、後年、他国の神々をソロモン王は礼拝したため、王の死後に、王国は北朝と南朝の二つに分裂されます。偶像礼拝をして掟を守らなかった北イスラエルはアッシリアに滅ぼされました。捕えられた捕囚のその後の行方が知れず、いわゆる 失われた十支族と呼ばれ、歴史上から消えてなくなり、現在に至ります。一方南ユダ王国も不信仰によりバビロンに攻められて国を失い捕囚となり世界に離散しました。

しかし、神の預言は時を経て成就し、バビロン捕囚後、約2800年経た1948年イスラエルという国が建国された時、全世界は仰天すると同時に神の存在とその絶対さを感じました。

北イスラエルの失われた10氏族に神様から特別の祝福を受けたエフライムとマナセ族がいます。エジプトで宰相となりヤコブに名誉と栄誉を復帰させたヨセフの子供たちです。神様は殊の外ヨセフを尊ばれ、他の兄弟にはない、膨大な祝福をヨセフの子供エフライムに約束されました。大自然の恵み、太陽の恵み、古代からの鉱物の恵み、温暖なる気候の恵み、地の恵み、水の恵み、山の恵み、海の恵み、勤勉の恵み、不屈の精神なる恵み、技術と技の恵み、規則を守る恵み、組織として動く恵み、謙遜の恵み、忍耐の恵み、誠実の恵みなど等 ユダヤ人と呼ばれるユダやベニヤミンには与えてない恵みの数々をヤコブの愛したヨセフとその子エフライムにお与え下さいました。

イスラエル10氏族とエフライムであるヨセフの子孫たちはBC721年アッシリアへ捕囚として連行された後、忽然と歴史から消えて、行方知れずと思われてきましたが、彼らは信仰を携え決死の覚悟でアッシリアを離れヨルダン川を渡りユーフラテス支流を歩き、幾多の異邦人の国々に寄留しながら、聖書に書かれたもう一方の約束地を目指して東へと移動し続け、古代に於いて、地の果て、東の地 海の島々と呼ばれた日本列島に辿り着いていたのです。その集団は王侯貴族、学者、知識人、技術者を含むエフライムの勇気あるエリート集団でした。

彼らの行う社での祭りに縄文人も深い関心を示し加わり始めやがて融合し共に助け合い、見えない神を賛美する集団を作り、イスラエルの10氏族は部族毎に、ユダヤの幕屋と酷似した神社を各地に創建し、宗教儀式と政治を一体化した国造りをし、出雲の大国主から国を譲られ、ヤマトの国として統一し、この民族は特異な一大国家を為しました。それが、日本です。

万物の創造主なる方、全知全能なるお方は、始めからご存じで、この民を大いに祝福され、長い年月をかけて、特別な民として今日までお育て下さいました。

聖書預言にキリストは東に再臨するとあります。この方が地球規模で全世界を救います。

又、預言者エゼキエルは枯れた骨の復活を預言した後、ユダとエフライムのイスラエルは、
神の手の中で一本の杖となり、互いに手を結び世界を平和へ導くと云いました。それが全世界が待ち望む、平和に過ごす千年王国へ向けての壮大で深遠なる神様のご計画です。

神様のエフライムへの数々の祝福を思い起こし感謝すると共に、全知全能なる天の神を信頼し、強く優しく凛とした日本の大和魂の復活を成し遂げ、人類の発展と繁栄、共生共存のために、先祖の歩んだ過酷な道を忘れず、他国の軍力に依存せずに、戦える知恵と勇気を持って、新しい道を共に求め歩みたいものです。

知りたい、その先が知りたい一心で求めた凛子、知的好奇心や探究心旺盛の凛子は色々知る人となった。聖書と日本フォーラムの畠田会長や聖書研究家の久保有正氏に出会ったのも幸運だった。聖書は創造主が霊的に書かせた書物と納得する彼女にはすべてが学びであり益となり今の凛子を支える根幹であり地肉となった。不条理への疑問は消え失せ、すべてが愛と光、正義と平和への過程道程と理解するようになった。「凛子」を昨年、2015年12月から書き始め、半生を綴り出した。現在7章を書き終え8章を執筆中、年内に9章を書き、2016年で「凛子」前編を完結としたい。凛子のこれからを理解していただくには、書く必要があった。それで、忙しい日常の合間を縫って書いたのが、この「凛子」だ。この度、畠田秀生牧師と久保先生に寄稿していただいた。この章でご紹介したい。

凛子さんへの期待

聖徳太子について、レムナント出版代表 久保有政

 凛子さんとのおつきあいは、もう長いものになります。最初お会いしたとき、なんと大きな情熱を日本のため、また神様のためにお持ちだろうと感激しました。今も凛子さんから多くのことを教えられたり、励まされたりしています。
 私は最近、とくに聖徳太子のことを研究しております。

 聖徳太子(厩戸皇子)は、日本という国家の基礎をつくった人ですが、これまで長い間「仏教の教主」「仏教の大功労者」とされ、仏教の広告塔にされてきました。しかし、じつをいえば、これは後世の仏教界が作り上げた虚像にすぎなかったことが明らかです。

 最近「聖徳太子は実在しなかった」という論を聞いたことのあるかたも多いかもしれません。歴史学者・大山誠一教授(中部大学)の論などです。しかしこの論は、誰も存在しなかったということではありません。厩戸皇子と呼ばれる政治家はいた。
 けれども彼はのちに言われたような仏教の大先生という聖徳太子像ではなく、もっと違う人物だったというものです。アカデミズムの世界でも、聖徳太子は今まで言われてきたような仏教の大先生ではなかったという見方が、主流になりつつあります。
 じつは太子は天皇家の者として、日本古来の神道を基本にしていました。実際、太子は推古天皇のもと「敬神の詔」を発しています。

「今わが世においても、神祇(神道の神)の祭祀を怠ることがあってはならぬ。群臣は心をつくしてよく神祇を拝するように」太子はこの詔を発して数日後、大臣や多くの役人たちを率いて「神祇を祀り拝された」と日本書紀に記録されています。基本は日本古来の神道に置いていたのです。

 さらに重要なことは、太子が奉じていたその神道とは、今日のような多神教ではなく、唯一神教の神道だったということです。それについては元伊勢・籠神社の海部穀定宮司がこう書き記しています。

「日本の過去の神道に、相当古い時代から『大元神』『大元霊神』という字句が用いられている。この『大元神』(大元霊神)は、一面、一神教の『神』に該当せられる御神格を有せられる」(『元初の神と大和朝廷の始元』桜楓社)
 宮司はまた、古事記・日本書紀が書かれる(8世紀初頭)以前の神道は「一神教」だった、つまり唯一神教だったと述べています。「大元神」「大元霊神」とは、字のごとく「おおもとの霊なる神」の意味で、唯一神でした。それがのちに、アメノミナカヌシ(天御中主神)とか、クニノトコタチ(国常立神)、トヨウケ(豊受大神)等、様々の別名で呼ばれるようになりました。しかしそれらはすべて同一神であり、唯一の神だと述べています。

 『先代旧事本紀』という物部氏が伝えてきた古書によれば、聖徳太子はこの唯一神教の神道(宗源道)を、中臣御食子(鎌足の父)から学びました。中臣氏は古来、日本の神道を司ってきた人々です。この聖徳太子時代の神道における唯一神教の神とは、イスラエルの「主の道」(申命記二八・九)における神ヤハウェにほかならないと私は考えています。

イスラエル宗教「主の道」が日本に伝えられて、神道になったのです。
 
さらに聖徳太子の奉じていた神道は、単に唯一神教の神道ではなく、「基督教的神道」でした。それは、聖徳太子は、太子に仕えていた「秦氏」一族と信仰を一にしていたからです。太子は自分の子の養育を秦氏にゆだねるほど信頼し、秦氏も、長である秦河勝をはじめ、太子に全面的に信頼して仕えていました。秦氏は、古代東方基督教徒として、応神天皇14年(3〜4世紀頃)に大挙日本に来た渡来人です。彼らの信仰は「基督教的神道」でした。その信仰を最もよく表したのが京都・太秦の「蚕の社」等にみられる「三柱鳥居」です。三脚型のこの鳥居は門ではなく、彼らの信仰を表すシンボルです。

 三柱鳥居の説明書きには、「これは造化三神の三位一体を表す」と書かれています。「三位一体」と、わざわざ基督教用語を使って説明してある。「造化三神」はアメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの三神です。最初のアメノミナカヌシは、天の主なる神で、基督教でいえば父なる神です。2番目のタカミムスヒは、神道古書によればアメノミナカヌシの「息子」で、イエスにあたります。3番目のカミムスヒは地上に息づく神で、基督教でいえば聖霊です。このように秦氏の「三柱鳥居」は、基督教の三位一体神への信仰を表したシンボルでした。

 さらに、聖徳太子当時の奈良はシルクロードの終着点として、国際的都市になっていました。そこには「景教徒」(ネストリウス派基督教徒)たちも来ていました。京都大学の池田栄教授によれば、マル・トマ(トマス先生の意)という景教徒も来ていて、聖徳太子に仕えていました。

 景教徒たちはシルクロード各地で、文字や学問を教えたり、各種の慈善福祉、医療施設をつくって伝道していました。聖徳太子は彼らの影響を受け、のちに「四箇院」という施設をつくっています。四箇院とは、「敬田院」(宗教や学問を学ぶところ)、「施薬院」(無料の薬草園、薬局)、「療病院」(無料の病院、診療所)、「悲田院」(身よりのない人々の福祉施設)の4つです。

 仏教学者は、こうした優れた施設は、かつてインドの仏教徒も中国の仏教徒も、朝鮮半島の仏教徒も一度もつくったことがないということで、聖徳太子をほめます。しかし、じつをいえばこれらの施設はどれも、景教徒たちがシルクロード各地に建設したものを、モデルにしたものだったのです。

 このように聖徳太子の信仰は、「基督教的神道」に置かれていました。太子は心の中では景教徒だったといっても過言ではありません。久保有正(レムナント出版代表)

イエスの求める武士道

 寄稿文、サムライのいのちと死、(聖書と日本フォーラム会長、畠田秀生)

「武士は己を知る者のために死ぬ」とある。その死が義から発せられたものでなくてはならぬ。上役や国から押し付けられたものならば、それは武士の死ではなく切腹の美、意義、尊厳は失われてしまう。切腹だけでなく忠臣として自己を捨てて仕える精神、思想も地に落ちる。赤穂の義士たちの一致団結した死は、己を知ってくれいた藩主浅野内匠頭のために自らの命を差し出したもの、そして忠義の現れである。私の主人であるキリスト・イエスのために自分を捨て彼に従ってきた私の人生と重ねてしまうが、これはこの実話「凛子」氏の生き方もイエスに従う者としての姿勢にもつながっている。十字架に死んでくださったイエスを私たちは知っている。そしてイエスは私たちを知ってくれている。

 新しい人生の道を歩む生きざまが、武士道に通じるものがあると信じるのは私だけではない。世界中のすべての人々に通じるものが真理であり、普遍的価値がイエスの中に含まれており、また武士たちが求めて歩んだ道が命がけだった、ことに通じる。罪に死に、義に生きる新しい人生、死からのよみがえりの希望がある。自分のためにのみ生きるのは死んでいることというほかない。

 本当の忠義とは、愛するもの、恩義ある者への己の自発的な忠誠心である。

それが武士の本来の姿であって、上からの押し付けは武士の精神とは相反するものであった。
イエスの忠実な僕であったパウロは、自発的に捧げるものを神は受け入れてくださると言った。その奉仕も神の働きのために捧げる献金も愛を動機として自発的でければ神はは受け入れてくださらない。

新渡戸稲造も言う。「国家が人民に対して、その良心の指図まで命ずるときほど、悲しい日はないであろう。」また「武士道は私たちの良心を、主君や国王の奴隷として売り渡せとは命じなかった。」と述べている。その忠誠は、自らの義が主君の義と合致するときにのみ発揮せられるべきであるという。
教会の牧師へ忠誠は、イエスの義と合う場合にのみ発揮せられるべきであるとすることにだれが異議を唱えるのであろうか。もし神の義がまかり通らないなら、教会はイエスのサムライを侍らすところではない。へつらいの無節操なやからをもつ社交団体と成り下がるだけである。その群れの信者であろうと、どのような団体の一員であろうとも「佞臣」「寵臣」の類となり、指導的立場にいる者の機嫌とりになりさがる。サムライはそれをもっとも軽蔑した。

 サムライは自己の義を有していた。クリスチャンもイエスの義をイエスの死によって身にまとっている。「佞臣」「寵臣」的信者の類とならないで、牧師の独善に諌言をもって切腹覚悟で義を確保しなければならない。とくに武士道を知らぬわけではない日本人は、自己に死ぬる大和魂である日本人の日本人たるところを具現していきたい。

「武士道といふは死ぬことと見付けたり」

 封建時代の遺物のように思っている節がある。しかし、今の時代にこれほど必要なものなない。暗い夜に森の中を走るとき、ヘッドライトを消す愚かな運転手はいない。私は、昨夜三重県志摩市の大王町の樹海の中を愛車で走った。もちろんヘッドライトつけて。 

戦後70数年、日本を照らすヘッドライトはなんだったのか、それはうまく機能していたのかなどを考えるとき、「ハイ」という返答はなかなか戻ってこない。武士道であるというと、「時代遅れよ」という。三島由紀夫の「葉隠れ入門」、李登輝前総統の「武士道解題」、飯島正久の「武士道日本人の魂」などの本に目を通してみたらいかがであろうか。
 
 生死のふたつのうち、いずれを取るかといえば、早く死ぬ方を選ぶということにすぎない。これといってめんどうなことはないのだ。腹を据えて、よけいなことは考えず、邁進するだけ。“事を貫徹しないうちに死ねば犬死だ”などというのは、せいぜい上方ふうの思いあがった打算的武士道といえる。“…葉隠より

 この「葉隠」思考は、なぜか心を安堵させてくれる。目標をめざして走るものへのこれほどの慰めに満ちた思いやりのあることばはない。なぜなら今日一日しっかりやることをやれば、それで死ぬことも益なりとする死を直視してこそ生きる意味と意義の素晴らしさを思い知らされるからである。死を見つめない人がどうして今日生きる充実感を得ながら生をまっとうできるのかと武士道はいう。

 パウロは言っている。「私がどういう場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが表されることを求める私の切なる願いと望みにかなっている。」そして彼の仕える〝殿様″への忠誠をつぎのように締めくくっている。

「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益。」

 生と死を選ぶとき、死を選らんでおきさえすればことを仕損じたとしても、それは犬死ではない。あいつは気ちがいだとか変人だとかそしられることがあったとしても恥ではない。武士道の本質は、死を覚悟することである。常に死を覚悟しているときに武士道は自分のものとなり、一生誤りなくご奉公し尽くすことができる、と武士道。自分を捨て私に従え、そうすれば永遠のいのちの道を歩むと、新約聖書のキリスト・イエス。  (聖書と日本フォーラム 会長 畠田 秀生) 

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東日本大震災

東日本大震災の起こったあの日あの時、凛子は新宿の京王プラザに居た。国家晩餐祈祷会に初参加していた。あの大きく不気味に揺れ続ける長い地震にとうとう、来たのか…もう、ダメかしら?と瞬間思った。でも、不思議に祈ることで、みんな落ち着いた。晩餐祈祷会に当然食事は出ず、断食祈祷会となり、深夜にようやく家にたどり着いた。甲州街道を歩いて帰路につく方々と同じ速度で凛子の車も動いた。翌日から、巨大津波が押し寄せる映像が流れ始め災害の凄まじさを報じていた。この世のものとは思えない、だが、実際に起きた現実に、誰もが騒然となった。凛子も落ち着いてはいられなかった。

宣教師のジョッシュと現地へ行こう!と即刻、決めた。何をどうして良いかさっぱりわからず、でも、ジョッシュが救援に行こう!というのだから、彼に従った!わかりました。行きます。東北に友人知人は一人も居らずだが、直接行けば、なんとか、なるだろう。凛子とジョッシュは救援物資食料を買い込み、車に積んで福島、仙台、宮城、南三陸へ車を走らせた。私たちはPTSDで被災者が心の傷を負うのが予想されたので、特に、心のケアーもしたかった。日めくりカレンダーも被災者の方々に差し上げたかった。凛子はその後何度も東北へ出向いた。友人誘って行った。カメラマン連れて行った。東京の家族はまた行くのかと凛子に呆れていたが、それでも、行かずにいられなかった。ある時は南三陸から東京まで、一人でぶっ通しで走った。隣に乗せた若いカメラマンが免許を持っておらず、凛子が往復運転した。彼女はタフだった!柔な女性ではなく、いつも、タフな女だった!

2011年〜12年は救援活動に明け暮れた。いつでも、被災地と人々が気になって、過ごした。地震大国の日本に何故あれだけ多くの原発を作ったのか国の指導者の真意がわからない!原発の安心安全神話など、とっくに消えた!かくも恐ろしい原発が日本各地の海岸やへき地に60基はあるのだ。どうしてくれよう???国の安全保障は領土領空領海の防衛のみではないだろう。国民の命を守るのは最優先だろうに!福島は終わっていない!彼らは、まだ避難生活を強いられ家へ戻れないのだ。国内を収めていないのに、なのに、原発を外国へ売りに行くとは何事ぞ!まったく、この国はおかしい!
エネルギー供給は多様化すべき、環境汚染のない自然エネルギーにシフトする時期だと、誰もが気付いているのに、国の指導者はいつ着手するのだろうか。燃える氷のメタンハイドレード、太陽光の集光、水素エネルギーの開発促進、どれも日本は未来のエネルギー技術で資源大国になりうるのに….

赤十字には、日本国中から義援金や義損金が届くのに、現地の人々になかなか渡らない!これにも、驚かされた!なんて、遅いの!必要な時に、渡らないのは、なんなんだろう!あの大金はどこへ消えたの?不思議だった… わからないことは、まだまだある!たくさんある。

日本には言霊を持つ美しい日本語がある。素晴らしい神話があり天皇さまがいる。温暖な気候風土に恵まれた日本列島に住む日本人が歩んできた歴史がある。これらは私たち日本人の背景であり、根幹をなす背骨だと思う。キリスト教で言えば三位一体だ。それが、今、日本語は乱れ、英語は国際化と称され氾濫し車内アナウンスまで英語。英語も大切だが、まず、日本語でしょう。日本語をきちんと話し読み書きし国の歴史や文化をしっかり学ぶことで、英語も語彙が増え、正しい文法に則り教養ある文章が書けるはず。何にも増して、日本語には言霊がある。世界の言語の中で言霊を多くまた数霊を持つのは日本語だけ。音、一つの音、一音に意味を持つ。(英語のaに相当する)こんな言語はヘブライ語を除けば世界中どこ探しても見当たらないはず。言い換えれば日本語はいかに奥が深いかということです。また、神話を抱く最古の王家王室が日本の皇室。男系男子を貫く皇室が未だ存続し天皇陛下が大祭司。こちらもありえないほどすごいこと!です。そして、最後に、私たちの祖先、先人たちの歩んできた前代未聞の歴史、民族の歴史、国の成り立ちに始まり、現在までを知ることが、何よりも大切です。良いことも悪いことも含めて、正しい歴史観を持つことが大事なのです。それが、どうでしょう…! 教科書は教えますか?これらすべては学校で習うべきなのに教えてくれますか?指導者である先生は知っていますか?

10代で米国へ行った凛子は、高校を卒業するのに歴史が必修科目で、アメリカンヒストリーをとった。その教科書の分厚いこと!呆れるほど分厚い。失礼だが、たった、300年足らずの国の歴史を、こと細かく、それはご丁寧に説明し生徒に討論までさせている。歴史を正しく教えることで、生徒に、誇りと自信と愛国心を植え付けているのだ。当然のことだと思う。それにひきかえ、日本の歴史教育と言えば、薄っぺらな教科書1冊で、副読本もあるわけではなく、世界史と日本史を並列で教えず、年号ばかり覚えさせ、全体の大きな流れ、時代の動き、世界の動きの中で、いかに国の指導者が決断し、今に至るか、などなど、興味ふかく教えられた試しがない!教育は最も大切。国の財産である次世代を担う、子どもたちへの教育はどれほど大切か!現状のままでは、ちっとも、伝わってこない!響くものがないから、心に届くはずがない!やる気を起こさせるわけがない!凛子はその昔、英語教育に30年費やした。このままでは、大和魂は過去の代物となり、この先がとても心配になる!
本気で憂いている凛子だ。

教育について言えば、文科省のすることも良くわからない!人には当然能力の差もあるのに、天才秀才はほったらかし、飛び級もさせず、できる子を普通の子出来ない子と同じ扱いだ!みんな同じがなぜいい?個性を伸ばし天才を育て愛国心を育てお国のために働いてもらえば国力が上がるではないか…、なぜ、みんな同じにさせようとするのか?教科書、あれは何?国がなぜ教科書を決めるの?教科書をもっと自由に選択させれば、いい教科書もどんどん出てくるだろうに。日本の中高英語の教科書など最悪だ!なぜ、国が関与し決めるの?

教育はもっと自由でなければ!創造性、自発性、協調性、向上心、探究心、好奇心、自立心、人はみんな持って生まれている!教育は自由に泳がせることが大事!本人自身が気づき開拓していくのだから。
懐の深い大きな愛情を持ってのびのび育てれば、子供の芽は摘まれず、日本は将来の人財を多く輩出するのに、今の教育は点数重視!偏差値?あれ一体何?マークシートでセンター試験?あんなもので、人の能力測って合否を決めるとは言語道断!学力は当然だが、面接は?論文は?個人の資質は?

社会へ出る前に、大学で習得するものが多くあればあるほど、日本の大学のレベルも上がっていくだろうに… レベルが上がれば、外国へ日本の頭脳が流出することも無くなるのに。

どこか、非常に間違っていると、思う。そして、いつか正されるのだろう…とも思う。

何故なら、時代が求めているから、日本の教育のあり方については、社会全体がシフトしているから、真に価値有る教育とは何か?人が経験から学び、考え始めたから。国際社会に対応していない、子供の可能性を十分に引き出していない、と理解し始めたから、きっとチェンジするだろう。

凛子にはわからないことが、まだまだ、たくさんある!なぜ、多くのことが覆い隠されているのか、
現実社会では闇の中なのか、世間に知らされていないことが山ほどある!ありすぎる!

しかし、聖書はいっている!隠れている多くのことで、現れないことはない!と…。聖書はユダヤ民族の霊的な指導者、偉大なモーゼを通して、神さまから民にもたらされた素晴らしいプレゼント。聖書に秘められた、その優れた内容は、地上に生きるすべての人々へのメッセージとなるだろう、と思う。

人間の力には限りがある。しかし、霊的な力が働く時、その力は想像を超えて、無限に広がる!
だから、凛子も頑張ろう!霊的な存在、神さまがいらっしゃるから、頑張り続けよう!

車戸凛子 2016年11月5日 蓼科にて 2016年11月26日 粕谷にて加筆

6章 NPOライジングクラウド


<枯れた骨への預言>

主の手がわたしに臨み、主はわたしを主の霊に満たして出て行かせ、谷の中にわたしを置かれた。そこには骨が満ちていた。彼はわたしに谷の周囲を行き巡らせた。谷の面には、はなはだ多くの骨があり、皆いたく枯れていた。彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存知です」。彼はまたわたしに言われた。「これらの骨に預言して、言え。主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに、息を入れて、あなたがたを生かす。わたしはあなたがたの上に筋を与え、肉を生じさせ、皮でおおい、あなたがたのうちに息を与えて生かす。そこであなたがたはわたしが主であることを悟る」。わたしは命じられたように預言した。骨と骨が集まって相つらなったが、息はその中になかった。「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。すると息はこれに入った。すると、彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。そこで、彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。見よ、彼らは言う。『われわれの骨は枯れ、われわれの望みは尽き、われわれは絶え果てる』と。それゆえ、彼らに預言して言え。主なる神はこう言われる、わが民よ、見よ、わたしはあなたがたの墓を開き、墓からとりあげて、イスラエルの地に入らせる。わたしがわが霊を、あなたがたのうちに置いて、あなたがたを生かし、その地に安住させる時、あなたがたは、主なるわたしがこれを言い、これをおこなったことを悟る、と主は言われる。(エゼキエル37章、1節〜14節)

凛子は全く日本人らしく無いが、生粋の日本人。凛と咲くヤマト撫子。日本を心から愛してる。日本人の長所も短所も知っている。青春時代を海外で過ごし、異文化に異民族に若い頃から接してきた。国際的感覚は持っているが、常に外国人の間で、自分を日本人と意識した。物事を比較する自分がいた。知れば知るほど、全体が深く読み取れ感じるものだ。そして、日本という国の 神秘的なまでの奥深さや優秀さを感じた。秀でた国であり国民だと感じ続けた。それは類まれな民族による国家形成であり、縄文時代から続く国であり、日本列島の国土が自然が民族が育んだ、文化文明伝統であり、そんな国はどこにもない、ということだった。日本人男子の持つY染色体のDNAは他と違うらしい。漢民族、朝鮮人にはない染色体で、ユダヤ人男子の持つY染色体と親戚関係だそうだ。なるほど、そうか、納得。日本人は中国人や朝鮮人韓国人と比較した時、良い悪いは別として、全く違う!昨今は特に、そう感じざるおえない。

今の若い人は海外へ目が向かず、日本文化の良さの中で育ち 当たり前と思っている、日本人の卓越した良さ、正直、誠実、勤勉、道徳心、忠誠心、向学心など、これらの美徳を特に意識していない。他の国民にないものを自然に持つのが日本人なのだが、特に意識しておらず、美徳も深く理解せず、自国の文化歴史も特に学ばず、無知なまま、外国へ行く人も多い。それでは、自国について説明できる、満足な民間外交もできないだろうが…昔の凛子がそうだったように…。しかし、今の日本人、どれだけ愛国心があるのだろうか。はなはだ疑問だ。自虐史観など刷り込まれて、自分の生まれ育った 立派な国に対して、若人に誇りや自信がどれだけあるのだろうか。

凛子は特異な経験をしてきた。人と比べようがないほど、特異な人生を送った。そこから得た、貴重な経験を、体験を、凛子独特の感性で発信し、有益な事業も含めて世に残していきたい。凛子の生きた証として、NPOライジングクラウドのジャパンスピリット倶楽部は、今後多くの事業を手掛けるつもりだ。特に若い人の教育はもちろん、大人に対する啓蒙活動も行う。様々な分野で、時代の求めに応じた新規ビジネスも立ち上げる。最先端の工学科学テクノロジーを使って、VR やAVR バーチャルな仮想拡大未来的世界を普及する、ことで多大な社会貢献もできそうだ。日本は、日本人の持つ、ジャパンスピリットを発信することで、世界に良き影響を与え、人々が平和に暮らす、互いに繁栄をもたらし、地域社会や国に貢献できるものが多々あると思える。

この国の国民がユダヤ人と並んで、いや、それ以上に優秀かは、古代の歴史を紐解く必要がある。聖書を読むと、エフライムが特に抜きん出て祝福を受けているのがわかる。エフライムとは北イスラエルの失われた十支族のリーダーで、ヤコブの子、ヨセフの第二子。その末裔たちがアッシリアの捕囚から、忽然と姿を消す。彼らは、シルクロードを通って、はるか昔、古代日本にたどり着いた。そこで、建国した国が、日出ずる国、日本。ライジングクラウドのサイトにはそのイメージ映像が乗せてある。一度、サイトをご訪問いただきたい。先祖の偉業に感謝し、魂が主に立ち返るかもしれない!それこそ、冒頭に書いた預言、「枯れた骨への復活」につながるかもしれない!

このように、戦後生まれの凛子は11月1日で満71歳になるが相変わらず人に強烈な印象を与え独特なオーラを放ち少なからず良き影響を与えている。凛子の世界観 価値観 死生観は広く深く深淵だ。生きるとは、どうゆう事か理解もし、正にライジングクラウドを通して体現しようとしている。NPOを始めた動機は、神への畏敬の念と愛と感謝、そして、信仰心からくる。なので、彼女は芯から強い。凛子の祖先は代々神社の神主、車戸一族は多賀大社の出であり甲賀流忍者だが、彼女は神道をキリストの弟子として、仏法をクリスチャンの心で読み解く。聖書を書かせた創造主がおられ、我が主がイエスで、助け手が聖霊であり、三位一体の、一神教に結局つながる。

1章から4章までは、出自に始まり、両親や生い立ちを綴り、誰もしない出来ないような冒険に満ちた青春時代を送ったことを、凛子の読者のみならず、後の世に、子々孫々楽しんで読めるように懐かしく思い出しながら書いた。いつの時代もその時の欲しいモノや夢や理想があり、実際行動に移し、ことを起こす人だった凛子は5章で結婚を書いた。40数年の結婚生活では、人間の弱さ、身勝手さ、曖昧さも知り、更に様々な出来事に遭遇し、実際 国際事件にまで発展しそうな経験までした。子育てなかばで、神秘体験を含めた霊的実体験を立て続けにした。石川歯科の経営者として、また、英語教師としても、貴重な経験をしたのでそれらにも触れた。

いつも、自分に忠実でその時のベストを追求し続け、そして得た稀有な人生は、誰にも真似出来ない、しない経験の連続で天からの贈り物のようだった。それらを年代を追って、事実に基づき誠実に書いてまとめたのが、凛子の証し、実話だ。凛子には邪心がない。自分に正直で二心がない。嘘がない女だから強い。常に王道を歩く人だ。理想に近づけるためには努力も忍耐もする。しかし、何事も待てる。天には時があるので、それを、信じて待つことが出来る。現実と理想の狭間を歩くが心の中に主が住んでおられるので、今の環境と現状に不満はない。至って平安だ。

さて、NPOライジングクラウド!今年で9年目を迎える。理想に燃えて開業した烏山分院を10年で閉めて、そして、始めたNPO活動。それが9年の歳月を経て、ジャパンスピリットを発信するNPOとして新しく先月6月28日に立ち上がった。天の神様が全てを見通すように、凛子の望む全てに応えるように縁をつなげ適材適所に人財を配置された。最先端の時代の要望に適う事業活動を行い、教育啓蒙活動に力を入れ、社会貢献するNPOが本格的に始動しどうやら動き始めた。

戦後70年と人は言う。凛子も70歳。完全数7の10倍の70。天の意思は当然働く。何かが始まる!のだ。何かが・・・!天の意思が地上の人を動かす。聖霊が働き人の心に入る。善悪を知る、勇気ある人、志を持つ人々が、悪なる勢力に対して、善の魂が集結してゆくのだ…と思う。

日本が日本であり続けるためには、自国の真の歴史を知らねばならない。東京裁判は何だったのか、国民が皆、何が真実かを知る必要がある。敗戦国として、理不尽に押し付けられた憲法を、そのまま保ち、平和憲法などと宣い、改憲に反対する、時代錯誤した国など、どこにあろうか?

強い国におんぶに抱っこで、お金だけ巻き上げられ、寄らば大樹の陰という発想は卑しい。「国破れてマーカーサー」(西鋭夫著)を読むとマッカーサー将軍の命令の下にGHQや米国が、何をしたか明白になる。スタンフォード大学フーバー研究所の西先生は米国の極秘文書を紐解き、全貌を明らかにした学者で、「母国日本よ、立ち上がれ」とばかりに、声高に雄々しく、私たちに息を吹き込んでおられる。西教授は日本の真のサムライの一人だ。頼もしい存在。

自分の国は自分たちで守る!国防は最も大事で、国の基本的なことだ。軍事力は外交交渉を支え、強い軍隊は戦争への抑止力となる。国内を安全に保ち、国民の命や財産を守り人権尊重を保つには、外国に攻められない、攻めさせない、侵略させない、強力な軍隊が必要不可欠だ。北朝鮮は日本を仮想敵国にしている。日本が憲法9条で動けないのを承知で脅しをかけている。

やられたら倍にして、何倍にしてもやり返す!報復する!!この精神と気迫は強い軍隊があることで相手に伝わる。それが、戦争抑止につながり、相手国に侮らせないことにつながる。なので、専守防衛など、ありえない防衛だ。日本の領土、領空、領海に敵が入ったら、始めて攻撃する、日本列島を戦場にして戦う!とは全くナンセンス! 誰が聞いてもおかしな話だ!愛する人や大事な家族、大切にしてきた歴史や伝統、建造物、美しい国土を二度と再び焼土にしてはならない。

中国共産党は一党独裁の強権政治で軍国帝国主義をひた走り民主政治と全く異なる路線を行く。彼らに国際世論は通用せず、国際法も無視、経済の発展と並行して、知的財産を奪い、軍備を増強し、核を持ち、世界の覇権国へ野心満々、中華思想を掲げ、不道徳を平気で行う、偽りの国だ。中国人で教養があり、礼儀正しく、立派な人格の持ち主の親しい人もいるが、共産党は脅威だ。事実、彼らはチベットからダライ・ラマ猊下を追い出し、国を占領し、また、ウィグルも占領した。ウィグル自治区でウィグル人を弾圧。財産は没収、ウィグル人の指導者や知識階級は殺され、若い娘は漢民族と強制的に結婚させられるか、行方不明と聞く。恐ろしい話が現実に起きている。

日本人は優しいだけではない、強い国民なのに、その気骨ある精神が、骨抜きにされ70年、他人に依存する脆弱な精神状態にある。国民は戦争への恐怖、諸々の呪縛から解かれていない。誰もが平和を願っている。しかし、恒久的平和はそうやすやすと訪れない。古代から平和は戦争と戦争の合間の一時的なものに過ぎない。先ずは、現実を直視し、身の回りの安全を確保する。

終末にあって、世の光、愛と平和と正義の君が、この世に再臨されて初めて、世界の平和は地上に齎されるのであり、今は身の安全を、家族や愛する者たちの命を守り、国を守ることが大事だ。70という節目か元米国大統領 ハーバートフーバーによる 回想録『Freedom Betrayed(裏切られた自由)』が戦後70年にしてフーバー研究所から刊行された。彼は A mad man, (一人の狂人)フランクリン ルーズベルトが米国民を騙し米国を戦争へ誘導したと書き、彼の狂人的思想と実際起こした行動を1000ページの大書で克明に綴った。そこにはルーズベルトがスターリンと隠然たる同盟関係を結んだ後に 日本に対して全面的経済制裁、金融制裁を加え、対日石油禁輸をし、日本を無理やり戦争に引きづり込んだと書いている。フーバーさんは、元大統領として米国民に真実を知らせたかったのだ。大多数の米国民は先の大戦が正義の戦いと思っている。軍国主義(ファシズム)と民主主義が戦い正義が勝ったのだ!と思い込まされている!二度の原爆も戦争を終結させるために落とした!と米国民は信じ、善良なる国民の良心が痛まぬよう、真実を伏せて教育している。フーバー元大統領は1946年5月焼け野原の東京で、マーカーサー将軍と会見し日米開戦は日本が追い込まれて戦争へ突入したと述べ、彼は全くその通りだと同意したという。

米国の元大統領がF.ルーズベルトを強く批判していた。正義がどこにあるのか….日本人は真実の歴史を学び、ことの真相を知る必要がある。背後に何が働き、真実が捻じ曲げられたかを知れば、自虐史観などナンセンス!同様に、米国民にも真実を知って頂きたい。真実こそ人を解放する。

米国の大統領は最高の権限を持つ、軍の最高司令官、国防外交経済の総指揮を執る国家元首。
米国大統領に誰がなるか世界中が注目する。国内の南北戦争に始まり米国も戦争をし続け現在に至る。凛子の高校の歴史教科書もずっしり重く分厚かった。歴史を詳細に学び星条旗を尊ぶのだ。日本の中高校生も自国の歴史を分厚い教科書で学ぶべきだ。こんなに尊い国はないのに….! 

ケネディー大統領がキューバ危機も乗り越え政府発行貨幣を出す予定だったが1962年11月に暗殺された。真相は未だ闇の中。70年経過すれば秘密文書も何れ公開される。伝説の人、ケネディーで始まるベトナム戦争をジョンソン大統領は引き継ぎ 深追いした。結果、国は疲弊し国力は落ち 国内は荒れた。1960年代に凛子はオハイオ州のポーツマスに留学してた。一般の米国人には、東洋人は殆ど皆同じ、中国人と日本人の区別もつかない。日本文化も何も浸透してない人たち相手に、10代の凛子は 一人で、愛嬌を振りまき、独自の日米民間外交をしていた。

ジョンソンさんの後にニクソンさんが第37代米国大統領になるが、彼は同盟国の日本を素通りして中国に接近した。キッシンジャーは辣腕を振るい、大統領補佐官として中国外交を推し進めた。ここからだ!!貧困に喘ぐ、当時の中国共産党は内情を隠し、米国の力を借りて 瞬く間に経済力をつけ軍備を整え軍拡し続けた。現在の中国共産党が中華思想の下に、アジア大陸はもとより東シナ海、南シナ海を自国の領域領海とし大陸国家中国は太平洋へ出て行こうとしてる。キッシンジャー氏も、ここまで予想したかどうか….。キッシンジャーさんはユダヤ系だから、ロックフェラーさんの利益のみならずロスチャイルドさんやユダヤ系金融資本家の思惑も承知で動いた。

日本は日米同盟ばかりでなくインドやフィリピン インドネシア ベトナムなど周辺諸国とも関係を強化し中国の横暴を侵略を 絶対に許してはならない!その意味でも、阿部総理には頑張って頂きたい。彼の政策が全て良い訳ではないが反対勢力に対して憲法改憲を貫く阿部さんを応援する。

45代米国大統領にトランプ氏が当選し8ヶ月が過ぎた。米国の大統領となる人は民主党であれ共和党であれ大差はない,,,,。米国という国を根底から変えることは出来ない!と実は内心ずっと思っていた。そこへ、共和党でトランプ氏が出馬した。こんな方が出てきた!と正直驚き、嬉しくて応援していた。しかし、米国主要メディアはどこも選挙戦を正確に報道せずトランプ劣勢と流し反トランプ一色のそんな報道ばかりだった。嘘の報道も甚だしく、その内容に呆れていた!圧勝で当選された後は今度はトランプ氏を引きづり降ろそうと ないこともあったかのように ロシアゲート云々で彼を叩いていた。事実に反する報道でメデイアは国民から呆れられるばかりだ。米国大統領で尊敬する方は、ジャクソン大統領、リンカーン大統領、ケネディー大統領だ。米国内の国力を取り戻し本来の強い国に復活させる!とトランプ大統領。誠に正しいと思う。トランプさんの率いる政権が長く続きみなさんがお仕事を全うされますよう、神様にお祈りしている。この方には是非、頑張って頂き、世界を変えて欲しい!米国が変われば、世界も変わるのだから….!!

因みに実業家で尊敬する人は渋沢栄一、鮎川義介、と私の父、北村賢太郎だ。お二人は日本に必要な数多くの立派な会社を設立しお国の為に尽くし、実父は娘に多大な影響を与え豊かに育てた。

日本が日本であり続けるには、万世一系の天皇制、皇統を守る必要がある。国家元首たる日本の天皇陛下は日本の国体であり、国民の心の拠り所であり、神道の大祭司であられる。私たち国民の幸せと繁栄を願い、国の安泰と世界の平和を日々祈って下さる誠に尊いお方で、最も伝統ある国の最も古い家系を持ち神話につながる国家元首など、世界に存在しない。それを皇室典範云々、有識者会議で女系天皇の是非を問い議論するなど、畏れ多く、実に不遜でとんでもない話!

この日本を根底から壊したい、バラバラに解体したい人たちがいるのだろうか… 超利己的な良からぬ勢力が日本の内部に浸透し、和を重んじる日本精神を破壊し軟弱にさせ、国を根底から壊滅させる目的で、巧妙に計画的に組織的に動く、恐ろしい何かが働いていると、思えてならない。

日本人のお人好しにもほどがある。彼らの手口に乗せられっぱなし!報道機関は機能しておらず、マスコミは真実とかけ離れた報道を平然と流し新聞は実に偏った記事を平気で書く。テレビは日本人を愚弄しているのか見るのもバカバカしく殆んど見ない。正しい知識は本やインターネットで取得し国際関係や揺れ動く世界情勢を知るようにしている。過去に遡り、世界地図を改めて広げてみる時、国の思惑、一国を背後で動かす勢力がある、過去の歴史を学べば、事の真相がわかる。すると、点と点が線でつながり、疑問は消えて如実に全体が見えてくる、世界で今、何が起こっているのか、過去に何が起こったのか理解すれば、近未来を予測し、世界情勢をある程度正確に分析することは可能だ。凛子は信頼できる専門家の方たちから、日頃学んでいる。

聖書的見地から、今の世界情勢や未来の予測が知りたいと思われる方には、久保有政氏のインターネット講座をお勧めする。少々過激な凛子と違い、久保先生は誠に穏やかな牧師であり、聖書研究者として知られ 凛子お勧めの書物も多く、渡来人の歴史に特にお詳しい。

何れにしても、極東の日出ずる国、日本列島に住む、私たち日本人とその魂が背負ってきた重い過去の歴史や聖書に祝福されたエフライムの子孫(ヤマト民族)と縄文人のDNAを感じる。すると、今の、私たちに課せられた、宿題、課題をこなすことで希望が見えてくる。全てが、国の存続に関わる大問題であり、日出ずる国の発展繁栄ばかりではなく、世界の国々が共に生きる、共に繁栄する、共存共進(共に進化)に欠かせないものだ。故に、早急に事を運び、ジャパンスピリットを推進したい。預言によれば、日本人の超スーパーDNAが世界を救うはずだから…

凛子を突き動かす聖書とは一体なんぞや….! そこから入りたい。聖書とは平たく言えば、神の意志によって書かれた世界最古の霊的文学的歴史書だが、その聖なる本は矛盾なく嘘がなく、終始一貫理路整然と語りかけてくる。あらゆる全てを創造し設計した全知全能の主は、光であり、真理であり、愛と正義であり、最終的に裁く権限を持つ権威あるお方だ。聖書には人の創造目的も記され、万物の造り主「命の設計者」が少しの狂いもなく宇宙を設計し、太陽、月、地球を配置され、そこに人を住まわせた。確固たる強い意志の下に、世界を最終的に善へと導く全知全能の神さまは、未来をその強い意志の下に動かすので、聖書は彼の手による預言書でもある。

冒頭にある=枯れた骨への預言=

これはBC6世紀頃、エゼキエルが預言させられた預言だ。深い谷間へ連れて行かれたエゼキエル。枯れた骨でいっぱいの谷間、死んだも同然の人たち、気骨なく精神の脆弱な人々、敵の前に生気なく夢や志もなく、国や文化や人を愛する心を失った人々、お国の一大事を悟らず、物事や全体が見れない人たち、利己心で生きる人たち、希望や夢が持てず諦めた人びと、神への信仰心も忘れた人々、偶像礼拝をし、神の怒りを買う人たち、安易に怠惰に享楽を求めて生きる人たち,,,

生きている時に、骨に霊が入ると人は生気を得て元気になる。生きる意味も深く理解する。
神の存在を忘れた人々、それが死んだも同然、枯れた骨なのだ!!左に中国、右に米国。大国に挟まれた深い谷間に日本列島は枯れた骨状態で右往左往し存在感なく存在する。主は正に、この時をご存知で、紀元前に預言させた。我が民に息を吹き込む、と言われた。日本人は主にとって、我が民!なのだ。日本人、ヤマト民族は、イスラエルの全家だから、我が民だ。しかし、殆どの日本人はそうはとっていない。自分がイスラエルの失われた十支族の末裔とは知らない。関係ないと思っている。日本人は多神教で一神教にあらず、日本は神道の国だと言い張る、頑固者が多い。しかし、民族の歴史、文化の背景、神社や神道のルーツを知れば 自ずから聖書につながる。

四方から神の霊が吹き荒れ、その枯れた骨は生き返る。すると、彼らは生き、自分の足で立ち、はなはだ多いいなる群衆となった、とある。そして、人の子よ、これらがイスラエルの全家である、と主は言われた。ヨハネ黙示録には、東から14万7千人の民、非常に多くの民と形容されている。神を知らない人、神を否認する人、否定する人、無神論者は自分が何処から来て、何処へ行くのか知らない。自分が誰であり、何の目的で、何故今生かされているのか、知らない…
凛子はNPOを始めてこのかた国から援助されたことがない。何方からも、何処からも、支援を願ったことがなく、ひとり毅然と意義ある社会貢献をNPOとして広範囲に続けていた。

そこで、学んだことは多義に渡った。自分に何ができて、何ができないか。よくわかった。凛子は当然オールマイティーではない。しかし、彼女には人を動かすパワーがある。地上にユートピアいわゆる弥勒の国を作りたい、そして、必ずできるという信念がある。彼女は聖書を信じるし、預言を信じる。なので、それに向けて、情熱や夢を失っていない。だから、ジャパンスピリットを発信し、様々に事業化していく。今度はみんなの力を結集して、国のお金も動かして…! 日本を発信する。Made in JAPAN を!ジャパンスピリットでジャパンエスコートするのだ!それが、弥勒の世につながる!と思っている。それで、NPOのシンボルマークは弥勒の手を表している。

弥勒の世の建設!それには時間がかかる。天の時があるから。しかし、天の意思が働くので、必ず到達する。いつか未来に…その準備を今からすることに、土台を築くことに、意義がある。

ある在野の天才物理学者を支援していた5年前の話だ。凛子が聖書に詳しいので「聖書にはアーモンドの花が咲くって箇所はあるのか?」と突然聞かれた。「はい、あります。民数記17章にありますよ!」そこから暫し聖書勉強が始まった。聖書を紐解き、聖書でアーモンドの花は復活を意味し、祝福を暗喩する、と伝えた。すると、彼は、五島勉氏が贈ってきた「予言された未来の記録」を私に見せた。彼は聖書預言やHGウェルズの予言にいたく感動し納得もされた。光工学の発明者は、ご自身の法則発見と共に、日本の未来を感じられたのだった。凛子も世界の未来を確信し嬉しかった!聖書にはいつも励まされる!希望が見えない時はいつも主が助けてくださる。

HG, ウェルズは、「世界はこうなる、The Shape of Things to Come」を最後の作品として世に残した。まるで、未来を幻視したかのように、彼は予言したのだ。時代を経て予言が的中していたと分かるので、人は驚愕するのだ。その中に四行詩を書き、最後に日本に触れたものがある。HGウェルズは不遇な幼年時代を過ごし、ある貴族の屋根裏部屋で蔵書を読み漁った時期があった。彼はダーウィンの進化論と聖書の黙示録に強い影響を受けた。進化論、黙示録、テクノロジーが彼の中で融合し、更に発展しSFの父と言われるような、作品の数々を書いていく。

凛子はHGウェルズが亡くなった1946年に生まれた、ウェルズが今の凛子を幻視したとしても不思議ではない。神様は何でも、なさる、できるお方だから!ここで、大事なのは、日本の未来をこれほど、までに祝福し、期待し、予言していることだ。ここで、再度、申し上げるが、アーモンドの花が咲くとは、復活を意味し、神の祝福を暗喩する。枯れた骨への預言も含めて、自分たちの使命を、民族の出自を、自覚していただきたい。弥勒の世作りに向けて、ご一緒しましょう。ある晴れた日、アーモンドの花が咲く。富士山、凛とした女性。可愛い子供達、宝の島。ああ。私は2度と見ることができないのだろうか…

凛子はキリスト教という宗教を広めたい訳ではない。ただ、聖書を伝えたい。神の書かれた書物、聖書を皆さんに読んで頂きたい。そして、神さまに立ち返って欲しい。命はどこから来て、どこへ向かうのか、自分自身について、もっと、深く知って頂きたいのだ。凛子は聖書に忠実に生きている。それが、喜びであり、魂の欲することだから、何ら違和感なく受け入れられる。凛子は誰にも雇われない。服従したことがない。従うのは我が主 イエスのみだ。

聖書の神は尽く預言された。別格預言者モーゼに始まり、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル、聖書は預言者たちでいっぱい。彼らは、救世主、キリストが現れることを預言し続けた。そして、現れた。最後の最後に記されたヨハネの黙示録は難解な章だがヨハネに幻視させ終わる。

「御使いはまた、水晶のように輝いている命の水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神の小羊と御座から出て、都の大通りの中央を流れている。川の両側には命の木があって、12種の実を結び、その実は毎月実り、その木の葉は諸国民を癒す。のろわるべきものは、もはや何一つない。神と小羊との御座は都の中にあり、そのしもべたちは彼を礼拝し、御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名が記されている。夜はもはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照らし、そして、彼らは世よ限りなく支配する。彼はまた、私に言った、「これらの言葉は信ずべきであり、まことである。預言者たちの魂である神なる主は、すぐにも起こるべきことその僕たちに示そうとされ、御使いを遣わされたのである。見よ、わたしはすぐに来る。この書の預言を守るものは幸いである」。これらのことを見聞きした者は、このヨハネである。わたしが見聞きした時、それらを示してくれた御使いの足もとにひれ伏して、拝そうとすると、彼は言った。「そのようなことをしてはならない。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書の言葉を守る者たちと 同じ僕仲間である。あなたはただ神だけを拝しなさい」。
「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれの仕業に応じて報いよう。わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終わりである。命の木にあずかる特権を与えられ、また門を通って、都に入るために、自分の着物を洗う者たちは幸いである。犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつ行う者はみな、外に出されてる。わたしイエスは、使いをつかわして、諸教会のためにこれらを証しした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしにそれを受けるがよい。この書の預言の言葉を聞く全ての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もしこの預言の書の言葉を取り除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれている命の木と聖なる都から、取り除かれる。これらのことを証しする方が仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アアメン、主イエスよ、きたりませ。主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。(ヨハネの黙示録22章)

日本が日本であり続けるために、ライジングクラウドは
JAPAN スピリット!を発信します。


「清き明き心」

それは、古来からの、伝統的な神道精神、清く、明るい心、くもりなく、清々しい心です。
やましさのない、晴れ渡った心。私たちは、このように、邪心のない、二心でない、
清らかな心で人と接し、物事を動かすことが大事です。
この清き、明き心は、日本人が美徳とする正直、誠実、思いやり、勤勉、忠実などの土台となったものです。また、卑怯なことをしないなど、人間のさまざまな徳の基礎となるものです。
これが、「日本精神 」JAPAN スピリットの中心です。

車戸 凛子 蓼科にて、2017年8月15日 

主の言葉がわたしに臨んだ、「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に『ユダおよびその友であるイスラエルの全家のために』と書け。これはエフライムの木である。あなたはこれらを合わせて、一つの木となせ。見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。(エゼキエル書37/16〜19)

終わりに


このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしが喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送ったことを果たす。(イザヤ書55章)

人間は宗教的存在かそれとも霊的存在か…と聞かれれば、もちろん、人は霊的存在です、と答える。
神話や宗教、自然や文化文明、科学哲学工学医学物理学天文学あらゆる分野、又は個々の経験体験や感性や学びを通して人間は造り主である創造主、インテリジェントデザイナー、大自然を知り自分を認識する。宗教は人間がつくったもので、人が霊的存在だと認識するためのツールだ。天地創造された万物の造り主、全知全能の神さまは、被造物を大変愛しておられるので、宗教で人間を分離も隔離もしない。全ての宗教は、人を愛と慈悲、智と調和、つまり至光へ導くツールであり、宗教はそのプロセスのようだ。全知全能の霊的かつ知的存在を、人は神さまとかヤーとかアドナイ、ヤハウェと尊称し、サムシンググレイトとかインテリジェントデザイナー、天之御中主やアマテラスなどと様々に呼び、至高の霊を敬い、畏怖の念を抱き、その存在に感謝し崇める。よって人は宗教に束縛されず、真理を知り、己を宗教から解放すべき、と思う。至光の霊があなたを導くまで、神の存在をあなたが感知する時まで、命や人生に感謝して、私たちは尊く賢く、平和と繁栄を分かち合い、共に魂の共同体として、生きたいものだ。

聖書や北極星(キリスト・イエス)があなたを導き、 あなたには愛と希望と信仰心が与えられますように…

父親の愛を全身に感じて育った凛子がやがて親となり子供へそれを同じように返す。子供たちは今、親となりそれぞれが学んだ愛で懸命に子育てしている。子々孫々と続く血脈だ。

さて、キリスト教。キリスト教にも霊脈がある。キリストの愛は普遍、神の愛を説き、体現した方がイエス・キリスト。弟子たちがイエスの教えを伝道するため世界へ散った。まず、東へ行った、後に西へパウロが行った。フランシスコザビエルが来日しキリスト教を伝道するずっと以前、旧約のイザヤの時代につまり紀元前に聖書は日出づる国へ届けられていた。北イスラエルの10支族たちが地の果て海の島々目指し最終目的地である日出づる国にとっくの昔に上陸していた。彼らはそこで先ず第一に神の社である神社を創建し創造主を礼拝した。それが神社の由来で日本各地にある古神道の神社だ。凛子の先祖も中東からやって来た渡来人の一族で多賀大社の禰宜を代々していた。そして、復活されたイエスさまを伝えに景教徒(キリスト教徒)がヤマトーから日本へ大勢それも大群でやってきている。日本人は文化や儀式や祭りの中に上手に取り入れ、聖書やキリストの愛を素直に体現し守ってきた。いろは歌の中に天才的とも言えるほど巧みに詠んでいる。とがなくてしすイエスと盛り込んでいる。

幼い頃何も知らなかった。関心が一切なかった。自分のことに一生懸命だった凛子。でも、今は違う。世の中が、世界が不自然で、とんでもなく間違った方向へ進んでいると思う。これを是正するのは武士道精神を宿す日本人の良識で良心だろうと思う。大多数の日本人はイスラエルの失われた10支族エフライムの末裔であるにも拘らず、日本のクリスチャン人口は1%にも満たないと聞く。凛子はキリスト教を布教したり改宗を勧めてもいない。しかし、救いはイエスの十字架にあると信じている。イエスの教えを自然に体現しているのが日本人だと思う。西洋から入ってきたキリスト教は変質し日本人には違和感があり馴染めない。西洋文化や東洋日本文化も知る凛子にとって時に別物のように感じるのが正直な感想だ。

凛子は神の存在を証しするために、拙い自伝を書いた。類い稀な経験や体験をしてきたからこそ、書ける内容だ。素直な心で読んでほしい。そして、あなたの心の扉をイエスに開けてほしい。
彼の霊的な力が働き、あなたは強められ、かけがえのないあなたが、新しく生まれると思う。

神も仏もいない、と思う人は間違っている。人間には運命宿命カルマがある。それらを乗り越えさせる存在は人間を超越した者だけと思う。神や天使がいれば悪魔もいる。悪魔や堕天使がこの世を牛耳ろうと戦略を立て長い年月をかけて計画してきたことが今現実化している。
今日、善なる者と悪とが戦っている。この世の弱い心と天に従う強い心が戦っている。日本人として、あなたが何故生まれたか、何故、今の時期なのか… 世界が大変動しようとするこの時期に、あなたが参加しないのは、知りませんでした。では、マズイだろう。

戦後の日本にマッカーサーはキリスト教を布教させようと宣教師たちを大勢送り込んだ。しかし、彼らは殆ど成功せずキリスト教に改宗した人はごくわずかだった。日本人には西洋式キリスト教など心情的に全く受け入れられなかった。神道や国体が日本人の心の拠り所であり仏教がカタチある学問として日本人の中に無理なく混在していたのだから。

日本人の大和魂がマッカーサーには脅威だった。二度と強い日本を見たくなかった。日本人を弱くすること、日本を解体し骨抜きにすることが、GHQの目的で政策だった。愛する国や国土を、愛する親や家族を、愛する子供や恋人を、外敵から守るために、日本軍の兵士は必死で戦った。その日本人の優秀さ、勇敢さ、神聖とまで思えた神風特攻隊、彼らの精神にマッカーサーは、敵は戦慄した。

古代縄文から現代まで、脈々と続いている国、日本。とてつもなく古く、聖書やキリストの精神が日本人の形成する文化や儀式の中に封印された神秘的な国、日本。世界に類を見ない、貴重な歴史を持つ、国全体が文化遺産のような、文化伝統歴史を持つ文明国、日本。

約束の地、理想の地を求めて、シルクロードを歩き、日本海の荒波を渡り、やって来た選りすぐられた者たち、勇敢な渡来人たち。彼らは日本列島に住んでいた自然人宇宙人的縄文人と融合し、永久に栄える国を建国した。それが日出ずる国、日本!その日本が国際化と称して門戸を広げようとしている。国際化って何ですか?まず、その実体を知らなければ、本質を知らなければ、弊害を知らなければ、私たちは国際化に同調しません!私たちは日本を重んじる、JAPANファストの ナショナリストですから。

世界統一政府などいりません。

この本の終わりに日本人として生まれたことを神に感謝したい。日本人の礼儀正しさ、律儀さ、勤勉さ、他を思いやる心、礼節を重んじる心は、今の世界が最も必要としている無形の財産だ。

日本を日本人の優しさや勇敢さを行動で示した英霊たち、先人達が海外で成した偉業の数々、
民間人で日本という国の評判を高めた方達が大勢いらっしゃる。そんな方達すべてに感謝したい。

そして、改めて家族に、亡き父親やご先祖さまに感謝したい。凛子の窮地を救い支えとなった愛する家族。また、本を書かせた聖書の神様にご報告したい。やっと、お仕事が一つ果たせましたと…そして、3年後の2020年に、凛子の続き「凛子後編」を書きます…と申し上げて終わりの言葉とします。

車戸凛子 2017年4月10日 東京にて加筆