人の人生は実に様々です。名もない方から、名を世界に轟かす方まで…

すべての人は使命を持って生まれ、魂は互いに果たす役割があり、この世に命を得て、誕生します。何れも天から頂く命は、人の善悪問わず、成す事の大小問わず、尊いのです。天地創造に始まり、大宇宙を創造された方には、堅固な意思がお有りで、小宇宙に至る小さな小さな命まで、関与しておられます。万物の創造主は、人に霊的な息を吹きかけ、その人の造り主として、初めから終わりまで、その誕生から死す時まで、あの人、この人、全ての人に関わりを持ちます。

人類の歴史や国の歴史、世界の今に関わりを持ち続け、過去、現在、未来と、すべてをご存じです。

何故ならば、初めから終わりまで、神様には、ご計画があるからです。壮大な計画です。そこには、人では計り知れない、人知を超えた、本質的で根本的なシンプルなご計画があります。神は宇宙の真理・愛であり、摂理・法則であり、魂の淘汰につながる、大宇宙創造の深遠なご計画です。

凛子の人生に、これほどまでに、神様が関わるとは想像もしませんでした。しかし、事実、主は関わりを持ち、戒め、彼女を導き、御心に適うように、言動するよう、鍛錬、訓練され続けたのです。今思えば、初めから終わりまで、ご存じで、使命を与えて、この世に送りだした!と言っても過言ではないでしょう。

私は、40代前半で神秘体験を経験し、神の実在を確信する者として、クリスチャンになりました。以来、聖書は私の人生の疑問に答え、生きる術と価値を与えました。主イエスは、我が師となり、また、心の支えとして、救い主と共に、生きる喜びを知るに至りました。私の人生観、世界観、すべてを変えたのは、神の御意志なのです。ここに、名もない、凛子の人生の半生を綴ります。証しとして…

彼女は一大冒険家です。半生は綴りましたが、後半は皆さんと共に歩めたら、と思います。もっと読む


I部 「凛子2017」実話 Japan Spirit

「光と愛」の下へ飛躍 した凛子

始めに

  

1. 凛子の両親・出自と祖先・先祖の血脈 
2. 生い立ち&エピソード・強くあれ!凛子
3. 青春時代・米国留学・パリ遊学・インド航空&アリタリア航空 
4. 凛子結婚・英語塾開校・父の死・経営者凜子・本領発揮・分院閉院 
5. NPO飛躍28設立・チャリティー・音楽活動・3.11支援
6. NPOライジングクラウド・そして、ジャパンスピリット 

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1章

祖先と凛子

凜子の両親

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって、父に求めるものは何でも、父が与える下さるためである。わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下るとき、それはわたしについてあかしするであろう。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。(ヨハネによる福音書1章16/27)

凛子の両親は共に滋賀県彦根市出身。彦根と聞けば、井伊直弼を連想する人は多いだろう。彦根藩の15代目城主、井伊直弼が江戸幕府の大老として徳川末期の幕府政治を舵取りしていた。朝廷から勅許が下りないまま、日米和親条約を結び、安政の大獄を経て、桜田門外の変で倒れた、あの彦根藩主の井伊直弼のお膝元だ。頑なに鎖国する江戸幕府に忍び寄る超強豪は、アジア、アフリカ、中東、オーストラリア、地球の4分の1を制した大英帝国。彼らの陰謀があり、日本に対する戦略があった。大英帝国の次なる標的は、黄金の国ジパングへと向けられていた。一方でペリー率いる黒船の大艦隊がやってきた。幕府は大動転!とんでもない大騒動だったろう。「元寇」以来のお国の大事件!蒙古来襲、あの時はこちらも頑張ったが、神風が二度も吹いてくれて助かった!しかし、今回はそうはいかない!絶体絶命!前代未聞の大ピンチ!

開国を迫られ、激動の時代を迎える。政権交代を求めて明治維新という一大変革が起こり、時代が確実に明治へと移行してゆくわけだが、そこに、凛子のご先祖さま、車戸宗功翁(多賀大社の大禰宜)が密かに、関わっていたとは、誰も知らない!凛子もここで書くことになるとは予想もしなかった。

明治維新を起こそうとする薩長の若い志士たち。幕府軍から逃げ隠れしながら必死に動いた勤王の志士たち(伊藤博文や桂小五郎なる木戸孝允)を、多賀大社に匿い擁護したのが、凛子のご先祖さま、多賀大社の大禰宜、車戸宗公翁だ。

何の因縁か、お多賀さんと呼ばれる多賀神社の霊脈か、先祖の血脈か、彼女のDNAなのだろうか?

今、凛子は日本の一大危機を感じている。グローバリズムという国難に直面している日本を、なんとかせねば、日本は再び、いや三たびやられる!と本気で憂い、この本を書き出した… 。

日本という国の類い稀な素晴らしさと、内に秘めた民族の強さを、文化文明芸術歴史を通して、真の日本やジャパンスピリットを内外へ発信し、人々を覚醒させ魂を救済しようとする凛子がいる。

彦根から20キロほどの所に伝統ある古い神社がある。それが滋賀県犬神群多賀町に在する多賀大社。そこはイザナギとイザナミの命とが鎮座した神社で、昔から伊勢神宮の親神社と呼ばれる由緒ある神社だ。凛子の父方の祖先は古い家柄でこの多賀大社の禰宜を代々してきた神官なのだ。

祖先の車戸一族の筆頭、車戸宗功翁が、明治維新に神官として関わったのは事実だ。また、我が祖先車戸家は、甲賀出身の甲賀流忍者でもあり、車戸一族は多賀大社の神官も代々務めたので、
不思議な家系の血と神秘的な血脈が凛子に流れている。もっと読む

車戸一族

車戸一族は神官のみならず忍者としても常に気持ちの上で朝廷に仕えてきた。日本人なら、国の権威で ある朝廷、天皇陛下という国体に真心から仕え国を支えるだろう。とりもなおさず、それが日本神話へ つながり、私たち日本人が天孫降臨の子孫であることを証明するのだから…!先祖の血を引く、九の一「女忍者の凛子」は、相当な情報通で多彩な人脈を持つ。凛子が引き寄せる のか,相手が引き寄せられるのか、知らぬが何故か特別な情報や人脈が凛子にはある。 自然に集まるのだ。求めたわけでもないのに…

さて、甲賀の忍者が何故多賀神社の神官も務めたかというと、知識人の集団、忍者たちは甲賀の里 で、薬草から生薬を作った。そして、多賀神社の護符を携えて、生薬を行商しながら、全国各地の情報 も集めたらしい。なので、神社との関わりが常にあった。多賀溝としてそれが今も残る。 加えて日本古来から伝わる組紐、甲賀忍者が編んだ組紐、この組紐、古代イスラエルから、甲賀へも たらされた、とはどなたもご存じないと思う。

その昔、古代イスラエル王国が南ユダと北イスラエル王国に分裂した。アッシリアに滅ぼされ捕囚に 出された北イスラエルの10支族が目指した、最終目的地が、東の端、地の果て、日出る処!…つまり、今の日本!聖書に何度も繰り返し預言された国、それが日本だ! 聖書を伝え、預言を伝 え、人から人へ聖書と預言を伝播することで、全知全能に対して、畏敬の念を抱き、再び聖書の神に立 ち返る!すると、預言どおりに日本が復活する!死の谷間に放置された枯れた骨が霊的に復活する! 正に、それが、弥勒の世へつながり、究極の世界平和がいつか訪れると期待している。

皆が自分の出自に関心を持てたらと思う。先祖も大事だが自分自身の内側にもっと関心をもつ。深く 自己探求すればパワーは自分の内にあることに気が付くはず。この本は始めから終わりまで凛子の半生 で善と正義と真理の出処「光と愛の存在」について証ししている。

出自で言えば凛子の祖父、車戸延吉は車戸家の嫡子として生まれた。彼は多賀大社の神官を継ぐべき人 だった、しかし、幼くして両親を突然失った祖父は、父親(車戸喜内)の弟である叔父(車戸捨次 郎)に車戸家から出され叔父が神官となった。そして、祖父は彦根で宿屋業を営む、商家の北村家に養 子に出された。(その後この叔父一家には次から次へと不幸が相次ぎ、家は崩壊してゆくらしい)

北村家に入り家業の旅館業兼料亭で財を成した祖父は、壮大な構想をもとに、彦根と多賀大社を鉄道 でつなごうとした。しかし、実に無謀な発想だったと思う。徒歩か荷車、馬車しか無い時代に、この 祖父は一体何故そのような大胆な発想をしたのだろうか。時代を先取りし過ぎた祖父は、資金調達も ままならず、周りに受け入れられず、計画は大失敗し愛する一家を貧のドン底に落とした。 そして、延吉の長男として生まれた凛子の父親が、子供の頃に辛苦をなめることになった。

車戸一族 祖先の血
車戸一族の血はかなり優秀だった。大事業に大失敗したとは言え、立派な髭を生やした祖父を始め 彼らは体格も良かった。凛子の父親 北村賢太郎は長男として生まれた。すぐ下の弟、北村茂男は地 元の滋賀銀行を退職し、東京の賢太郎兄貴の下へ来て、彼の伝手でオリンパスに入社した。茂男叔父は 平社員から一通りの課をまわり、課長、営業部長、輸出本部長、社長、会長、名誉会長で逝去した。 そこまで階段を上りつめた。彼は、エンジニアの開発した胃カメラを世界中に売り込みに行った。

オリンパスは、品質の高さを保ち、医療機器メーカーとして世界でナンバーワン、トップのシェアを持 つ。今では、広く知られるオリンパスだが、そのオリンパスを世界のオリンパスにすると叔父、北村茂男は口癖のように云いながら、熱き情熱を持って、世界中を飛び回っていた。そして、事実そうなった!

製品がいいから、自社製品に自信が持てるから、広めたいと思うのは当然だろう。凛子も同じくだ! 日本文化文明が素晴らしいから、特殊技術の素晴らしさがあるから、民族の封印された歴史があるか ら、ジャパンエスコートで日本を世界へ売り込みたい!海外へも行こう!飛び回ろうと思う!

さて、延吉祖父は車戸性に拘りを持ち続けたので末の男子を車戸實と名付けた。彼は学問好きの秀才 肌で絶えず勉強ばかりしていたそうだ。兄貴の家に下宿しながら早稲田大学に通い首席で卒業した。彼 は学問の道を歩むため大学に残り助手から助教授、教授、名誉教授となった。早稲田の商学部には車 戸会があり今も続いている。ネクタイを締めずいつもアスコットタイで通す大変お洒落な叔父だった。 二人の弟たちは、国からそれぞれ褒章を受けた。父は彼らの兄としてさぞ誇らしかったと思う。

凛子の父親が一家の長として、親の生計を支え、弟達の学費を払い、就職の世話をし、土地を購入して やり、妹たちの心の支えとなり、精神面から彼らの経済に至るまで、親や弟や妹たちの面倒を実によ く見た。凜子の父親は彼らにとっても特別な存在だった。それが凛子の父だった。叔母や叔父達も、 そんな兄貴を慕いよく訪ねて来た。実に彼らは仲が良かったし、楽しそうに話していた。
凛子の父親の起こした二つの事業は、大きく発展せず、消滅したが、彼の生き方は立派だった。 誰にも真似できないと思う!彼の人生は人の想像を絶する壮絶さがあった。 此処に凛子の敬愛する父、享年76歳で没した北村賢太郎について記したい もっと読む